「ポリチンパン」1


陽は昇りきって南中し、眩しさに目を細めつつハンドルを握り、(これはロシア民謡だったかな)と考えながらテトリスのBGMをくちずさんではいるものの、途中で立ち寄ったコンビニエンスストアで買って車内で食べたサラダ巻きの海苔が歯に挟まったのを舌で取ろうと試みるたびに鼻歌は中断されたが、彼の頭の中では音楽は途切れず、急き立てるように流れ続けていた。
 流れるラジオはエアコンの動作音に負けないボリュームで世界各地の風力を伝え終え、語学講座が始まり、ロシア語ではなくフランス語で、レストランに入店するところから料理を注文するところまでをレクチャーしていた。
(地元の方言で地元民に媚びを売る、ローカルタレントのくだらない話は聴きあきた)
 それまでローカルタレントが、リスナーから送られてくる「日常生活で起きたおもしろい出来事」を読み上げて何かコメントをするラジオ番組を好んで聴いていた彼が、急にそう考えてラジオのチャンネルを変えたことに、何か判然とした理由があった訳ではなく、ましてや信仰上の重大な転向などでは決してないが、ラジオを消さずに語学講座をつけたまま鼻歌まで歌うところから、彼が「音がないと、とても寂しいと考える人物」であることは明らかだった。
(わざとらしい方言のおしゃべりを聞き流しているよりも、何を言っているのかわからない外国語に耳を傾けるほうがましだ)
 「海がみえる特別席をご用意いたしました」
 彼には聞き取れない外国語で話す女性の声に続けて、男性が日本語で翻訳した。
 地中海だろうか、地中海だろうな――前方に転がる亀の死骸をハンドルを切ってよける他は、県道をひたすら北へ向かい直進を続けた。
(また葬儀場が増えている)
 数ヶ月前にラーメン店としてオープンした建物が、葬儀場になっていた。通り過ぎてしばらくしてから、彼はラーメン店が開店した初日に、入り口の透明なガラス製の自動ドアが閉まっているのに気づかずに激突し死亡した六十代の男性の記事が新聞の地方版に載っていたことを思い出し、なるほど、と考えたが、何に納得したのか自分でも分からず、口に出してつぶやいた。
「人が死んだ場所が必ず葬儀場、あるいは墓場になるのなら、いつかすべての土地が墓場になってしまう・・・・・・」
 言葉を発したせいで、鼻先にサラダ巻きの海苔のにおいが届き、車内のにおいも気になった彼が空気を入れ替えようと手動式の回転バーをまわして窓を少し開けると、排気ガス臭い熱気が車内に入り込み、舌先に海苔の味を感じながら舌打ちしつつ、すぐに手を逆回転させて窓を閉めた。
(さっきの葬儀場、今度こちら方面に来るときには営業をかけてみよう)
 飛び込み営業をするには事前準備がいる、飛び込みで大切なのは第一印象で、準備不足により悪い第一印象を与えてしまうと、その印象を覆すために余計な労力が必要になってしまう、などと今日訪問しない理由を考えていると、現場を通り過ぎそうになり、ウィンカーを出すと同時に左折して後続車からクラクションを鳴らされた。
 助手席に投げ出してあったネクタイを締め直しドアを開けると熱風が駐車場を吹き抜けて、締めたばかりのネクタイがたなびいて彼の左肩と左耳との間ではためき、すぐにまただらりと垂れ下がり次の風で今度は右肩に乗って、動かなくなった。ペイズリー柄が、熱にやられて死んでしまった微生物を連想させる。
 広い駐車場のアスファルトは熱せられ、中心にある建物が揺らいでみえた。巨大なコンテナを無造作に積み上げたような外観のその建物は、すべてガルバリウム鋼板で覆われており、白い塗装が施されていた。窓はなく、アルミ製のパイプだけが縦横無尽に這っていた。
 県道から目につきやすいように設置された縦長の電光掲示板は、「互助会会員募集中!」という文字を繰り返し点滅表示させており、今日は葬儀が行われていないことが窺えた。
 彼は後部座席のドアを開け、傷だらけのアタッシュケースをおろすと、勢いよくドアを締めた。薄いドアが叩きつけられ、インド製の車体全体が揺れた。自動車運搬船に積まれてマラッカ海峡を渡ったときも、ここまで揺れたことはなかっただろう。
 ゆっくりと動く自動ドアが開くのを待って中に入ると、ひんやりとしたロビーがあった。灰色のモルタルで塗られた壁と床に囲まれた空間の中心に円形のソファが置かれ、小さく開けられた天窓から細い光がソファまで届いていた。彼はいつもこの場所に来ると、(ピラミッドの内部はこんな感じだろうか)と考えた。ピラミッドについて考えるとき彼が決まって思い出すのは、子どもの頃、夏休み、夕方になって新聞の朝刊を開いたところにちょうど載っていた夏祭りの広告をみたときのことだった。
(この夏休み、まだ一度もお祭りに行っていない――花火だって、みていない、ナイアガラだとか、仕掛け花火だとか――この夏休みもあと数日で終わってしまう。小学校に通う間に来る夏休みはあと三回しかない。たったの三回! 生きている間に何回夏を過ごせるというのか、その貴重な一度の夏祭りに行かなくていいのか。夏祭りだけならまだしも、自分はまだみていないものが多すぎる。死ぬまでに全部みることができるのだろうか、日本国内もまだ行ったことのない県ばかりだし、ましてや海外なんて――この前博物館で古代エジプト展はみることができたものの、本物のピラミッドを、スフィンクスをみずに死んでしまうかもしれないなんて!)何者かに握り拳で心臓を叩かれたように唐突に動悸がし、目の前が暗くなって、どこから入ってきたのかわからない蟻が日に焼けた畳の上、ささくれ立った藺草を横切って開いた新聞紙の上まで這ってきたのにも気づかず、隣で姉が遊んでいたゲームボーイから流れてくるロシア民謡がさらに彼をせき立てた。
 すべてをみるまで死ねないと、肩をいからせながらテーブルにつき、出された夕食を残さず食べ、風呂に入ってパジャマに着替えてしまえば今日はもう外出することはないだろうと思いつつ湯船に浸かり、夏祭りへは行くことなく一日が終わり、夏休みが終わった。それ以降、すべてをみたい、経験したいという気持ちは薄れ――自然と薄れたのか、何かによって奪われたのか、彼にはわからないが――彼はこうしてピラミッドの内部を思わせる葬儀場のロビーに来ても、かつて子どもだった頃の焦った気持ちを思い出すだけで、何かを渇望することはなくなっていた。
 ソファには座らず、傍らにアタッシュケースを置いて立ったまま天窓を仰ぎみていると、三つ並んだホールの入り口の内、Aホールの扉が開き、若い男性が顔を出して彼に声をかけると、すぐに顔を引っ込めた。彼はアタッシュケースを肩に掛け直すと、中へと入った。
 ロビー同様に灰色のモルタル塗装を施された長方形の空間は定期清掃の日だったのか、椅子がすべて撤去されており、正面の壁に掛けられた巨大なディスプレイにはなにも映し出されてはおらず、照明を反射して黒々と光っている。ディスプレイの下に位置するアイランドキッチンのようなスペースから五、六歩、扉側からは十二歩の所に並んだ三台の機械の傍らに、先ほど首から上だけをのぞかせていた若い男性が白いワイシャツに黒い蝶ネクタイをつけ、黒いスラックスを履いて立っていた。スラックスの股間の中心から向かってやや右よりが不自然な形に膨らんでいるのが気になったが、彼は何も言わなかった。
 真ん中の機械のランプが切れ欠けているのか、表示がおかしくなっているようなので必要なら交換を、と依頼され、彼はまず真ん中の機械にコインを入れ、動作を確認し、基本の型である「グー」、指を二本加えた「チョキ」、五本加えた「パー」と三つのボタンを順番に押していくと、「チョキ」と「パー」の人差し指にあたる部分のライトが確かに切れていた。
 アタッシュケースを床に寝かせると、カチ、カチと音をたて留め具をはずして開いた。ケースの裏表が分かりやすいよう、表面にはステッカーが貼られていた。それはラジオ番組に「日常生活で起きたおもしろい出来事」をメールで投稿し、読み上げられたときにだけもらえるステッカーだったが、日に焼けたり擦れたりして表面が白くなり、よほどそのラジオ番組を好んで聴いている人物でない限り判別できなくなっていた。
 ドライバー、ニッパー、メジャー、カッター、配線の束などがそれぞれの輪郭の形をしたスポンジ製のくぼみに収まっている中から、あたらしいLEDランプを取り出すと、機械を覆う透明な樹脂製のカバーを固定するネジを三カ所順番にドライバーで取りはずし、ランプを交換すると古いランプをビニール袋にくるんで元のくぼみにしまった。次に腰のベルトにつけたチェーンをたぐり、ポケットから鍵を取り出すと、コイン収納箱を開け、たまったコインを取り出して機械の前に並ぶコイン置き台のトレーに積み上げた。念のため残り二台の動作確認も行い、二台のコインも取り出し終わると、アタッシュケースの上で伝票を書き、後ろに立って作業をみていた男性に手渡すと、男性はスラックスのポケットからシヤチハタ印を取り出して押し、複写された伝票を一枚彼に返してきた。堅そうな膨らみはシヤチハタ印だったのかと彼は納得し、しかしそれにしても大きな印鑑だと考えた。印鑑の持ち手の部分は透明になっていて、押印する際に印鑑をかたむけると透明な持ち手の中をタツノオトシゴが上下に動く細工がほどこされていた。どこで売っているのか尋ねたくなったが、それほど親しい間柄でもなく、親しくなる必要もないかと思い、そのままホールを出た。
(あの印鑑、どこに行けば売っているのだろう)
 営業所へと戻る途中、コンビニエンスストアの駐車場でトマトジュースを飲みながら彼は思いだしていた。(かっこいい印鑑だった――あの印鑑をデスクの上に置いておいたら目を惹くだろうな)倒した座席に半ば寝ころびながら夕陽をみた。車内で休憩するためにわざと離れた位置に駐車していたせいで、飲み干した紙パックをゴミ箱まで捨てにいくのが面倒になり、次にコンビニエンスストアに寄るときまで隠しておこうとグローブボックスを開けると、車検証のファイルの上に布の固まりが載っていた。み覚えはなかった。取り出して広げてみると、男性物のボクサーパンツと、女性物のティーバックの下着だった。


「これはなんだ」
 まだ先客が食べ終えた食器が片付けられたばかりの、指で触れたなら粘りけのある油で汚れがつきそうな丸いテーブルの上を布巾で拭ってもらう前に椅子を引いて腰掛け、二枚の下着を投げ出すと、水の入ったグラスを二つ運んできた女性は居合わせてはいけない場所に居合わせてしまったとでも言いたげな表情で黙って厨房へと戻っていった。テーブルの真っ赤な天板の上に落ちた下着は、肌に身につけるために縫いあげられた本来の用途を離れ、どうぞ生地の感触を確かめてくださいと展示されてでもいるかのような風情になったと彼にも思えなくもなかったが、投げ出された方のKはまさにそんな展示を前にしたように下着を取り上げて裏表、表裏とひっくり返して眺めた。
「これは、ぼくの下着ですね。なぜ先輩が? 」
数日前、一日車を交換してほしいと言ってきたK以外に、同じ車を使った者はいないはずだった。車検で来た代車が珍しくマニュアル車だったため、オートマティック車限定免許のKは運転できなかった。仕方なくマニュアル車に乗った彼も、免許を取得してから一度もクラッチペダルを踏むことがなかったため、困惑した。自動車の運転が好きな人物が、マニュアル車は今ギアがどこに入っているかを自分で正確に把握できるところがいい、オートマティック車だとギアがどこに入っているかわからないときがあって気持ちが悪いと語っているのを聞いたことがあったが、(まずはローだ、次はセカンド、サードからトップ、そして今、オーバードライブだ)と考えながら運転することのどこがいいのか理解できないと強く思ったことがあったことを、彼は思い出した。半クラッチとは一体、なんだったのだろうか。そう思いながら代車を発進させた日のことが強く印象に残っていたため、Kが車を使っていたことを覚えていた。
 自分でグローブボックスに下着を入れた記憶がない以上、Kが入れたとしか考えられなかった。彼が急にこのあと食事に行くぞと誘ったときも、下着を目の前に出したときも、Kは驚いた様子はみせなかった。食事の誘いについては、隔週の週末には誘うことが多かったため驚くほどのことではなく、黙って行きつけの中華料理店についてきたのかもしれないが、下着の件についてはなぜそこまで平然としていられるのか、彼にはわからなかった。黙っていると、Kが口を開いた。
「一昨日、あたらしい機械のパンフレットを持って新規営業をかけてみたのです、飛び込みで」
Kは話しながら、二枚の下着を自分の鞄にしまいこみ、同時に店員に目配せをした。店員は布巾と注文票とを持って来て、さっきまで下着が載っていた天版を素早く吹き上げると、ボールペンを構えて注文を待った。ノンアルコールビール台湾ラーメン、青菜炒めと唐揚げと炒飯とを注文し、店員が厨房に戻ると話を続けた。
「ひとつめの葬儀場では、一応話だけは聞いてもらえて、パンフレットと名刺も渡すことができたので、今日はいい調子だなって、もう一軒行こうって思って、バイパス沿いに走って、次にみえてきた葬儀場で車をとめたのです。ちょうどぼくらが狙いやすそうな、チェーン店ではなさそうな、小さめの葬儀場だったので、今度は直接責任者と会って見積もりの話まで行けるかなって、思ったのですけど、結果は門前払いで、もちろん向こうが悪い訳じゃあないのですけど、頭にきちゃって、それで、脱いでしまったのです」
(何の話をしているのか理解できないのは、年齢差による感覚の違いなのか、世代の問題ではなくK個人の性格の問題なのか、Kの生い立ちが大きく関わっているのか。例えばKが戸籍を持たないことが関係していることも、あるのだろうか)
 戸籍がなくて困ったことといえば、パスポートが取得できなくて海外に行けないことくらいですかね、とKは以前この同じ中華料理店で彼に語ったことがあった。
 戸籍がなければ住民票も発行されず、それに伴って生じる不都合もいろいろとあったはずだが、Kはパスポート以外のことには一切触れなかった。不便さを感じたことがなかったのか、パスポートがなく海外へと渡航できなかったことがKにとってはとても悲しく、大きな損失だったためそのほかのことはどうでもいいと考えているのか、あえて語らなかっただけなのか、それとも、戸籍ネットワークの目が届かない自由さを手に入れるためには、どんな面倒も苦にならないというのだろうか。海外へと旅立つことよりも、戸籍から監視されない自由――戸籍も住民票もなく、国籍も不明なKは、いまここで生きていることを公的に証明する手段を持たない。
 一部の皇族をのぞくすべての臣民は戸籍ネットワークに登録される。改正戸籍ネットワーク法にそう定められているにもかかわらず、Kのような出生届の不備――そこには故意による不備も多く含まれる――によりこの戸籍ネットワークに登録されていない臣民が年々増加している。登録を拒否することにより、臣民としての権利を放棄する者が増えていることに対し、当ネットワークは遺憾の意を表明するだけでなく、FBIから直輸入されたこのシステムをより完璧な、この国のこの地形に暮らす男性、女性、幼児、少年、青年、壮年あらゆる人々の外見的特徴だけでなく「内面」をも記録しつくせるものにするためには手段は選ばない。
 「脱いだといっても、門前払いされたその場でズボンをおろして脱いだわけじゃあありませんよ。そこはぐっとこらえて、人の目がなさそうなところ――ほら、バイパス沿いの、高速のインターの手前に畑が広がっているところがありますよね、側道に入って、そのあたりの広めの道に停まって、すこし離れたところには麦わら帽子を被ってトラクターに乗ったおじいさんがいましたけど、こちらに来そうな気配はありませんでしたし、あたりを見回しても他に歩いている人や車はいなかったので、いそいでベルトをはずしてズボンをおろして、下着のゴムに手をかけたところで、視界の片隅に入っていたバックミラーが暗くなって、あぜ道を転がってくる大きなタイヤの音が聞こえてきて、トラックだ、だめだ、車高が高い、あの角度からはこの下半身を露出しかけているところを全てみられてしまう! 焦って急いでズボンをあげることもできずに固まってしまったのです。ぎゅっと目も閉じてしまって。でもおそるおそる目をあけてみると、間一髪のところでトラックはぼくの停まっている少し後ろで停車して、運転手は昼寝しようとしていたのです。運転席の前の、ガラスの間に挟まっていた漫画雑誌――表紙が誰のグラビアだったか忘れましたけど――それを引っ張りあげて、適当なページを開いて顔の上にのせて。みつからずに済んだ、よかったと思って、いそいでパンツを脱いで、もう一度ズボンを履きました。今思えば、別にトラックの運転手にみつかったところでどうってこともなかったのに、妙な話ですよね」
 Kが話している間に、青菜炒めとノンアルコールビールの瓶とグラスが二つテーブルに運ばれ、青菜と青菜との間に見え隠れするニンニクの破片を箸でつまんでいるとすぐにカエルの唐揚げも届けられた。指先で熱さを確かめつつそのままつかみ、かじった小骨を小皿に出しながら、左手はおしぼりを経由してグラスにのびた。
 例えばグラスに口をつけてからテーブルに置き、再びグラスを傾けてノンアルコールビールを飲んでからまたテーブルに置き、と五度繰り返した結果、偶然テーブルの上に水滴の輪でオリンピックのマークと同じ形が現れたことも当ネットワークは記録しているというのに、Kの語った行為の意図は、判然としなかった。
「でも、それだけでは何と言えばいいのか、熱が冷めきらないような感じがして、結局ズボンのジッパーから出して、そのまま営業所まで運転して帰りました。ああ、すこし喋りすぎました、すみません」
 台湾ラーメンと炒飯もテーブルに並び、鷹の爪と挽き肉とが絡みついた麺をすすると、むせ、むせながらも彼が女性物の方はどうしたのだ? いったい誰のものなのだ? とたずねると、それはエッチな雑誌におまけで付いていたものです、とむせもせず答えた。


 いつもアメリカンを頼むところを、何故だろう、興奮していたのだろうか、普通の辛さの台湾ラーメンを注文してしまったために、翌朝ではなく帰宅してすぐにトイレに籠もることになった。唐辛子とニンニクとが胃と腸を刺激するのを感じるときは、幼い頃繰り返し読んだ「人体のしくみ」という本のイラストを彼はいつも思い出した。内蔵が全部丸みえになったにこやかな男児の口から入ったおにぎりが、食道を通り胃も通過して迷路のような小腸と大腸とを抜けて、きれいな形をした便になる。便にもにこやかな顔がある。しかし今まさに体内から外へ出ようとする便がにこやかな表情をしているとは、とても思えなかった。
 ここで彼の自宅を紹介しよう。最寄り駅からは徒歩十五分、普段車で通勤しているため、駅まで歩くことはほぼないが、売り出し時のチラシにはそう記載されていた。築十八年、鉄骨鉄筋コンクリート造十階建ての九階、ワンフロア二邸の東南側で、日当たりは良好。不動産登記簿謄本の乙区に記載されていたローン保証会社の抵当権設定金額は三千万円であり、全額ローンで購入したと仮定して当初三千万円程度で販売されていたものと思われるが、彼は中古で千五百万円で購入し、甲区の所有権移転と同時に乙区の抵当権は抹消され、あらたに千五百万円の抵当権が記載された。
 売り主はローンの返済を数ヶ月延滞し、競売の一歩手前で任意売却にとどまったとの事情を彼は不動産業者から聞いた。お金が返せなくなった人がかつて暮らしていた家に住むのを嫌がる人もいるだろう、他人事のように彼は考えた。中古マンションの大半は、程度の差こそあれ、お金の事情で売りに出すことになった物件だろうと思えたし、かつてお金を返せなくなった人が暮らした場所に寝起きすることで、自分もいつお金が返せなくなるかわからないのだから気をつけろという教訓になるとも思えたからだった。
 臥薪嘗胆、というと少し意味が違うなと思いつつ布団に入ると、背中の下に敷き布団の下の床の堅さが、おお背骨が堅く平らな面に当たってまっすぐにのばされるようだ、などと感じられ、そして同じ形に作られたコンクリートの入れ物が八つ積み重なり同じように横たわった人が八人積み上がっている様子までもが建物の断面を透視したかのように眼前に浮かんでくるようにも感じられ、八人がジェンガのように揺らぐ錯覚にめまいがし、じっとおさまるのを待っていることが多々あった。
 眠りに落ちる前、薪ではなく抵当権の上で眠っているのだと考えはじめると、固定資産税のことも思い出され、安心して眠る場所を得るためにはお金が必要だ、ローンが払えるだけの給料を与えられているのはありがたいことだ、臥薪嘗胆、臥薪嘗胆、と唱えながら、徒歩十五分の最寄り駅から次の駅へと貨物列車が遠ざかっていく音を聴く夜は一夜や二夜ではなかった。
 ジェンガの八人と彼とは、同じ床に寝ているようでいて、異なっている。入居前にリフォーム工事を行ったため、彼は元のフローリングの上にもう一枚貼られた床板の上に布団を敷いて寝ていた。工事はまずキッチン、トイレ、バスの取り外しから始まり、狭い空間を無理に4LDKに区切っていた壁が壊された。解体、搬出が終わると新しい浴槽が運び込まれ、配管工事と平行して新しい床板が敷かれた。すべての床の上にあたらしい床板が載せられ、厚みを増した分すべての扉の下部が切断された。かつて二つの部屋だった間取りを一部屋に変更したため、間にあった壁とともに、一つの扉は廃棄された。
 完成したあたらしい間取りは、玄関を開けて正面にある扉が子ども部屋、続いてL字型の廊下に入り右手に彼がいま籠もっているトイレと洗面所、左手に夫婦の寝室があり、廊下を抜けると二部屋の壁を取り除いてできたリビングがある。かつて子ども部屋だった場所はゴミ置き場となり、缶ビールの空き缶やペットボトル、可燃ゴミ不燃ゴミ、指定日に出し忘れ、次の週も出し忘れ、どの種類のゴミがどこにあるかも忘れ、黄色や緑色の半透明の袋が積みあがっている。換気することもなく、忘れられた生ゴミが悪臭を放っているため扉を開けることがためらわれ、呼吸をとめた家主によって袋を放り込まれるだけの部屋になっていった。
 かつて夫婦の寝室だった部屋はカーテンを締め切ったまま、カーテンレールに一週間分のカッターシャツがクリーニング店のビニールを被ったままつり下げられている。ダブルベッドは粗大ゴミに出され、床板の上にマットレスが直に置かれている。かつて額に入れて壁にかけられていた、ネットショップで購入したパブロ・ピカソの「女性」という尻だけが線で描かれたスケッチのポスターも、はずされて床に立てかけられている。
 既に変更されてしまった間取りの中に立ち、リフォーム前の間取りを正確に思い描くことはむつかしいのと同様に、毎日(ここは子ども部屋だったのに)と思いながらゴミ袋を放り込むことはなく、ただリビングに空き缶が増えてきたら袋にまとめて移動させている意識しかなくなっていた。どんな気持ちでピカソの尻の絵を飾ったのかも、日々思い出すことはなかった。思いだそうとすれば思い出せたかもしれないが、思いだそうとはしなかった。長い間ウォシュレットをあてても肛門の熱はさめず、あきらめてトイレを出ると彼はそのままバルコニーへ出た。
 数日前に台風が通り過ぎてからひんやりとしてきた夜風にたなびいたネクタイのペイズリー柄が暗がりで息を吹き返した微生物のようにみえるのを捕まえて、ワイシャツの襟を立ててネクタイをほどいた。このマンションで暮らすのもあと数日か、と彼は考えた。ひとりで暮らすには広すぎた。息子の好きだった、甘い味がするジュースのような調整豆乳が飲みたくなった。しかし冷蔵庫には缶ビールしか入ってはいないこともわかっていた。み下ろした線路を列車が通過した。光る車窓の中に運ばれていく人たちが小さくみえた。その晩からかやをつるのをやめた。どうしてか蚊がいなくなった。

トウチャンは父になる

まだ夜の早いうちから娘を寝かしつけるために一緒に布団に入り、尿意でという訳でもないけれど目が覚めて覚めた以上はトイレに行こうかと起き出して、起き出したついでにリビングへと入り、薄いカーテンを開けると人差し指の第二関節までで隠れるくらいの大きさの駅の灯りがみえて、台所の電気だけつけてキーボードを打ち出した。


十月三日、その日にちを特別に記憶していた訳ではなく、いま携帯のメールをみたらその日に届いていた「今日離婚届けを提出してきました」という母親からのメールを受信したとき、特に何も思うことはなかった。わざわざ弟とふたりでそろそろ正式に離婚したほうがいいと説得しに行った後の出来事なので、当たり前といえば当たり前だった。そんな説得をしに行った理由というのもひどい話で、兄弟ふたりとも近い将来父親の面倒をみるつもりがなく、それは金銭的な面だけでなく、一切関わりたくないという考えからであって、どうしてそんな風に考えるかというと二人とも幼い頃から父親とほとんど関わってこなかったから今更関わる気にもなれないというのが理由といえば理由なのだけれど、そんな人物がいまだに母親と同じ戸籍に入ったままだと、ひとから(あなたの父親でしょう)と言われたときに都合が悪い、(いえ、父と母とは離婚していますので)という返答を用意しておきたいという、誰がそんなことを言いにくるのかと、考えるだけで薄気味の悪い、まったくひどい気持ちから説得したことなので、その結果母親からのメールを受け取って何か気持ちが動くことがあるはずがなかった。
メールを受けて母親に電話をすると、三十年以上向かい合って話すことがなかったはずの父親は、正式に離婚の話を切り出されると特に抵抗することはなく、すぐに家を出ていったという。出ていったあとの行き先は不明。それを聞いてますます父親にとって家族とはなんだったのか、これまで三十年以上なにを考えていたのか、わからなくなった。


十月二十三日、妻が二人目の子どもを出産した。4328グラムの男の子だった。
弟が生まれることについて、三歳の娘は自分はお姉ちゃんになって、トウチャンはお父さんになるんやろ?と言っていた。父ちゃんは既にお父さんだと娘に説明しながらも、息子の父親になるのは確かに初めてだとも思った。
戸籍上は父親がいながらも、父親がいないかのような育ち方をしてきて、ひととの関わりを断つことに対して抵抗がなくなってしまったというか、これまでの人生の中で、友人と呼べるひとたちとの関わりを何度も断ってきてしまったように思う。それでもこのひととだけはずっと関わりたいと思って妻と結婚して、そしてふたりの子どもが生まれた。
妻が入院する前に準備をしていて、1.5リットルの水のペットボトルを持っていくと言われて、まだ結婚する前、つき合っていた頃に(飲むと思って)と彼女が家から電車に乗って1.5リットルの水のペットボトルを持ってきたのをふと思い出した。その頃よくふたりで週末会ってシティホテルに一泊するときにお菓子や飲み物を買って持ち込んでいたのだけれど、わざわざ家から重たい水を抱えて出かけてくる頼もしさに笑ってしまった覚えがあって印象に残っていた。
週末会うと泊まりがけになってしまうのは、別れ際が苦手なせいで、会っていなければなんともないのに、会うとどうしても別れ際に立ち去りづらくなってしまう。ひととの関わりを断つことに抵抗がないと言いながらも別れ際が苦手なことは矛盾するようでいて矛盾していないというか、別れ際が苦手すぎて関係を断ちたいとか、ほんとうはひととの関係を強く求めているとか、そう考えると非常につまらないことだと思うけれど実際つまらないことだから仕方がない。
出産後、妻が入院している病院に娘とお見舞いに行き、娘を連れて家に帰る間際になると娘が大声で泣き出すのをみて、なだめながらも自分も同じかそれ以上に別れ際が苦手なのだと思っており、夜眠る前に(母ちゃんに会いたい)と泣きながら自分にぴったり寄り添って眠りに落ちていく娘の横で自分も少し泣いていた。娘が情緒不安定になっている姿をみていると、自分も全く同じかそれ以上に情緒不安定だったことが思い出されるし、三十歳を過ぎたいまもほんとうは情緒不安定だけれどそれなりに我慢する方法を覚えただけで、なにも変わっていないようにも思える。そんな子どもが自ら父親との関係を断ち、やがて母親に離婚するように持ちかけるようになるまでに何が起こっていたのか考えようとすると、重大な出来事に対する記憶がすっぽりと抜け落ちている訳ではなく、ほんとうに些細なことの積み重ねでここまできてしまったのではないかと思えてきておそろしい。ただ、ひとつ確信していることは、「血がつながっている」ということは家族にとってその関係を保証するものでは全くないということで、それは実感としてある。
だから、娘とも、息子とも、気を抜いたらなにかの拍子に関係が途切れてしまって二度と会えなくなってしまうかもしれないという危機感を常に持っていないと、家族なんて簡単に散り散りになってしまうものだと思う。生まれてきた息子の写真を撮ることはもちろんだけれど、いまのこの気持ちを残しておきたくてこれを書いた。


朝八時半過ぎに入院し、午後一時前に息子は生まれた。分娩室の、ちょうど分娩台に乗って赤ちゃんが出てくる股間からみて正面の壁に美しい紅葉と日本のどこかの城が映った美しい写真のカレンダーがかけられていて、一体だれが分娩室でカレンダーの日にちや曜日を確認するんだと疑問に思ったけれど、あれはなんだったのだろう。わざわざその城カレンダーをみて生まれた日付を記録するのだろうか。そのこともきっと時間が経てば忘れてしまいそうなので、ここに書いておく。妻が必死で陣痛に耐えていた姿は、忘れないので書かない。

チ、チ、ババチ

目も鼻も口も眉毛もどこも、どの角度からも自分には似ていないと思っていた娘が成長するにつれて、もしかしたら昔の自分の顔に似ているのではないかと思えはじめてきていた――正月に実家を訪れたときに、その思いが正しいのかどうか確かめようと古いアルバムをタンスの奥から出してきて、持ち帰った。布張りの表紙と背表紙とに挟まれたアルバムは重く、車の助手席に乗せると揺れてもカーブを曲がっても動かなかった。ミカンを食べながら、果汁で汚さないよう気をつけて表紙をめくると、小さな足形があった。いまの娘の足よりもはるかに小さな足。順番にめくっていくと、娘にそっくりな写真もあれば、あまり似ていない写真もあり、似ている、似ていないと妻と娘と笑って話しながら眺めた。2歳を過ぎて弟が生まれ、さらにめくって一枚の写真をみたとき、おそろしくなった。チ、チ、ババチ、チ、チ、ババチ……


明るい日差しを受けた芝生に寝転んだ父親の上に弟と自分とが覆いかぶさってうれしそうにこちらをみつめている。そのときカメラを持っていたのはおそらく母親だろう。しあわせそうな親子が休日の公園でたわむれている写真だと説明すれば誰もが納得するに違いない風景だった。


思いだせる限りでは、父親のことを好きだと感じたことは一度もなく、思いだせる一番昔の頃からいままで、父親とまともに会話をした記憶もない。そんな親子がほんとうに存在するのかと自分でも不思議だけれど、同じ家で暮らしながらほとんど顔をあわせることもなく、父親は自分の息子がどこの高校へ進学しどこの大学へ通い、いまどこに就職してどこで暮らしているかを知らない。同じ家で暮らしながら、母親は父親と一切会話をせず、お互い隠れるようにして生活している。離婚はせず、別居もせず、でも全く関わらない、そんな夫婦がほんとうに存在するのだろうかと不思議だけれど、どこかには存在するのだろう……
物心ついた頃から母親と父親との仲はとても悪く、喧嘩をしているところをみていたわけではないけれど、子どもの頃から父親は自分が起きている間に帰ってくることはほとんどなく、食事を共にすることもなかった。仕事で忙しかったからというわけでもなく、母親からはいつも父親がいかに家族に対して無責任か、関心がないかを教え込まれていた気がする。その頃は母親を疑う気持ちは全くなかったし、身の回りのすべての面倒を母親にみてもらっていたため信じるしかなかった。かすかに、(父親を慕えば、理由ははっきりわからないけれど、父を毛嫌いしている母親から見放されてしまうのではないか)という不安があったような気もするけれど、なにもわからないまま、いつの間にか父親を嫌悪していた自分が、幼い頃休日の公園でたわむれていたという事実が写真に残されていることがおそろしくなった。チ、チ、ババチ、チ、チ、ババチ……


父親はほんとうに、息子に対してまったく関心のない人物であり、したがって息子側からもまったく関心を持たれるべきではないのか。
それとも、ほんとうは父親は息子に対して愛情を抱いていたが、なんらかの事情により、誰かの意図でその事実が曲げられ、その状況を見過ごしているうちに取り返しがつかないところまできてしまったという可能性はないのか。


娘が産まれていなかったなら、芝生の上の写真をみても、ほんとうは子どもに無関心な父親が表面をとりつくろっている醜い写真だと何の疑いもなく思いこんでいたかもしれない。でも、その風景が過去に実際にあり、そこにカメラを向けていたひとがいたという事実は、ある。


毎日成長する娘をみていると、とてもかわいらしい、愛おしいという気持ちになる。だから、子どもに対してまったく関心が持てないということがあるのかと疑問に思える。一方で、娘に自由を奪われる、ほんとうにしたいことができなくなる、という気持ちがふとよぎることはないとはいえず、そんな気持ちが膨らんですべてを覆ってしまえば、自分の父親のようにまったく家族に関心が持てなくなってしまうのではないかと不安になる。
自分の気持ちが自分でもわからない。あなたの気持ちはこうだ、こう感じるべきだとひとに言われればそうかと思ってしまうかもしれない。それが一日、一日と、毎日が連なって月日になり、月日がやがて年月になって、ほんとうの気持ちはもうまったくわからない、思いだせない、もう取り返しがつかない、取り返す必要があるのかもわからない。


娘は自分に似ていようが似ていまいが、ほんとうにかわいい。笑っていたり踊っていたりするときはもちろん、怒っていたり泣いていたりするときもかわいい。最近はあまりこの歌を歌わなくなってさみしいけれど、どんなに泣いているときでもバーバパパの歌の動画をみせると泣きやんで、頬を濡らし鼻水をたらしたまま「チ、チ、ババチ、チ、チ、ババチ」と大きな声で歌うのがとても好きだった。「トリック、トリック、バーバトリック」という歌詞でも、耳で聞く分には「チ、チ、ババチ」で間違っていない。こんなに瞬間的に気持ちを切り替えられるのはどうしてだろう、すごいことだ、自分も同じように瞬間的に気持ちを切り替えられたらと思った。
気分がよくなって何気なく鼻歌を歌うことはあっても、すごく気分が悪いときに歌うことですぐに気分が変わるということはない。でも、気分が悪いとき、落ち込んでいるときに坦々麺を食べると(おいしいなぁ)という考えで気持ちがいっぱいになり、一瞬なにもかも忘れられるということはあった。辛い食べ物を食べるときにそうなりやすいけれど、ただ辛いだけではそうはならないだろうと思える。もし辛いだけでいいなら、ポケットに唐辛子を忍ばせておいて、気分がふさいだらそっと取り出してかじればいいけれど、実際にそうしてもうまくいかない気がする。辛くておいしいものでなければだめだ。本当にあの坦々麺はおいしかった。仕事中に悲しくなってあの坦々麺屋さんに駆け込んだことが何度もあった。でもあの坦々麺屋さんはあるとき急に閉店してしまった。もうあの坦々麺を食べることはできないのかと思うと落ち込んだ。店主はどこへ行ってしまったのだろう。ある日突然お店を再開したならまた通いたい。(おいしいなぁ)という考えで気持ちをいっぱいにするために、なにかを忘れるために、なにかを思い出さないために(辛くておいしいなぁ)と思えるあの坦々麺をもう一度食べたい。仮に九州にお店が移転していたとなっても、(おいしいなぁ)、(辛くておいしいなぁ)という一瞬のために列車に乗って出かけていくだろうか。車窓からみえる風景に視線を送りつつも(おいしいなぁ)(辛くておいしいなぁ)(おいしいなぁということ以外なにも考えられないなぁ)の瞬間が待ち切れず、試しに娘の真似をして「チ、チ、ババチ」と歌ってみるだろうか。かわいかった娘を思い出し、笑いながら「チ、チ、ババチ」と歌うだろうか、それとも涙を流しながら「チ、チ、ババチ」と歌うだろうか、その頃自分は何歳になっているだろうか、車窓からみえる風景はどんな風に変わっているだろうか、そんなことはわからないし、わからなくてもいいし、教わりたくもない。

ノンストレス・ライフへの招待状


月曜日から金曜日まで毎朝シャツに袖を通しネクタイをしめて、ズボンをはいてベルトをしめて、ズボンと同じ色のジャケットを着てお弁当を持って自転車に乗って駅に向かうと同じ時間帯に駅に向かうスーツ姿の男たちがそれぞれ同じように自転車にまたがって赤信号の前に勢ぞろいする。名前も年齢もわからないけれど顔だけはなんとなく覚えていて、彼らとの距離によっていつもより家を出た時間が早いか遅いか判断できることもある。同じスーツ姿の男性でも、それぞれ違う顔をしていて、区別ができる、でももっと幼い頃はスーツ姿の男性をみれば、(働いている大人がいるな)と思うだけだったはずで、ましてやそれぞれのスーツ姿の男性が考えることなんて、それぞれの職業に関することだけだと考えていた節もあったような気がする。学校の先生は勉強を教えることだけを考え、警察官は泥棒を捕まえることだけを考え、消防士は火を消すことだけを、銀行員はお金のことだけを考えているとは思っていなかったとは言い切れない。


大人になってはじめて、みんなそれぞれ身につけている制服に関することだけを考えて生活している訳ではないと実感するようになった。駅についてホームで電車を待っているところへクイズが出題される。では、この列に並んでいるスーツ姿の男性がいま考えていることは、なに?二十秒以内でお答えください・・・・・・


ストレス社会と一言で言っても、ストレスにもいろいろな要因があるに違いなく、会社員なら上司から受けるストレスをいかに軽減するかが夢のノンストレス・ライフへの第一歩。恐ろしい上司からは、視線を向けられただけで心臓を握りつぶされそうな思いをするのが社内の大半を締める被管理者たちで、彼らが視線をかわそうとして行う席替えはまさに命がけ、仮にもろに視線を浴びる位置になってしまったなら、ボックスティッシュをさりげなく置き、出した一枚のティッシュペーパーで視線を遮ることだってするし、いざとなれば視線を避けて机の下にもぐることだって辞さない。机の下には非常用のお菓子が常備されていて、甘いお菓子と辛いお菓子を交互に食べて心を落ち着け、ころあいをみはからって机の上へと再浮上し何事もなかったかのように仕事を続ける。


被管理者としては、自分の生活の糧となる給与の上下を握られていて逆らえないことが大きなストレスのひとつになっているとも考えられる、かもしれない。だから、できることなら、複数の仕事を持つことがノンストレス・ライフへの第一歩、かもしれない。あるときは銀行員、またあるときは移動式パン屋さん、あるときは警察官、またあるときは化石発掘業者、あるときは教師、またあるときはバナナの密輸業者、そうなれば子どもたちも、大人たちをひとくくりの存在としてそれ以上深く考えることをやめているわけにはいかなくなる、かもしれない。


上記のようなことを、この列に並んでいるスーツ姿の男性たちが考えているわけではないとなると、いったいなにを考えているのか、それともなにも考えてはいないのか、二十秒は一瞬で過ぎ去り、電車はホームに到着してしまう。だからといってクイズの答えはすぐには教えてもらえない。答えが知りたくてまたこの鉄道を利用してもらいたいという思惑が鉄道会社のクイズ企画者側にないわけでもない。それにしても、いまや自由に、かっこわるいたとえ方をするならカメレオンのように、複数の職業を行き来する現代の大人たちが考えていることを推測するのはほんとうにむつかしい。そうこうしているうちに、空は暗くなり、オフィス街から出てきたスーツ姿の男性たちがおもむろにポケットからスマートフォンを取り出して画面を発光させる。それは全国各地でみられる光景であり、空を飛ぶ鳥たちから見おろすと、ひとりひとりの手元の灯りがまるで星座のように輝いてみえ、しかもその星座には毎秒形を変え、みるものを飽きさせない美しさがあったけれど、鳥たちには光をつないで形を思い描くという発想がなかったので特になにも考えることはなかった。

蚊の進化


瞼を閉じているのか、開いているのかわからなくなる程の暗闇の中で、あたりでは物音ひとつせず、生きているのか死んでいるのかもわからないと思いかけたそのとき、聞きなれた耳障りな音が届き、それまでの経験上、(刺されたら痒くなる、だから刺される前に叩き殺さなければ)と考えると同時に、その場所がみなれた寝室であることも思い出される。よりよい睡眠を得るため、外からの灯りが入ってこないよう遮光性の高いカーテンを取り付けたばかりだったと思い返しながら、目はさえてきて部屋の灯りをつけ、耳元から飛び去ったものがどこへ行ったかと探し始める。


キジも鳴かずば打たれまい、というのとは少し異なるが、蚊は痒みさえ残さなければ、吸われる側から危害を加えられる事態は大幅に避けられるだろう。さらに言えば、痒みを残さないだけでなく、血を吸われた側に何かしらのメリットを与えられるようになれば、優遇された状態で、より効率よく血を吸うことも可能だ。
そのような考えのもとに、なかなかひとからは理解されにくい特殊な事情により蚊に対して深い思い入れを持った人物が研究に研究を、交配に交配を重ねた結果、進化した、あたらしい蚊が誕生した。
あたらしい蚊は、これまでと同様に、ほかの生き物の血を吸う。血を吸ったあとが赤く膨らむ点では以前と変わらない。しかしながら、ここからがあたらしい点なのだが、吸われたところを舐めてみると、甘い味がする。南国のフルーツのような甘みに加えて、炭酸水のような感触も舌に残り、一言で言うなら、おいしい。


そのあまりのおいしさを、大手食品メーカーが見逃すはずはなかった。自分の身体を刺されることなく、手軽にその風味を味わえるような商品ができれば、爆発的な売り上げを記録し、新聞社が企画する上半期・下半期ヒット番付にランクインするに違いない――それは意外なアイデアでもなんでもなく、会議の席でひとりがそのアイデアを発表した直後に、わたしも、ぼくもと、似通った企画書がテーブルの上に積み重ねられた。


形状は、アメリカンドックのような形。持ち手となる木の棒を人工人肉で包み込み、人工人肉内に作られた人工血管に人工血液を注入したものが一列になってベルトコンベアで蚊ルームへと運ばれていく。ビニール製のカーテンをくぐったアメリカンドックの列を、蚊ルームで飼育されている養殖のあたらしい蚊たちが一斉に刺しにかかる。すると肌色をしていたアメリカンドックがほんのり赤く色づき、少し膨らむ。蚊ルームを出たアメリカンドックは、作業員たちの手によって包装され、賞味期限のシールを貼付されて出荷される。
楽しみ方は、棒を持ち、味がしなくなるまで人工人肉の部分を吸うというもの。


かつては繊維産業が盛んで、自動織機があちらこちらで景気よく音をたてていたこの街も、いまでは廃業した工場の跡地に分譲住宅街ができるばかりで特にこれといった特徴はなくなってしまっていた。地元では仕事がなく、大人たちは皆都心へと働きに出かけていくベットタウンで、昼間は子どもたちだけが自転車で駆け回っていた。そんな街の中心にアメリカンドック工場が建設されたおかげで、雇用が創出され、都心へと通っていた地元住民たちが徐々に工場で働くようになっていった。それで街に活気が出てきたかというと、不思議なことにそういうわけでもなく、工場へ出かけていったきり戻らない住民がいる、もしかしてあそこで扱っているのは人工人肉ではなく、本物の人肉を・・・・・・とまことしやかにささやかれるようになったが、果たしてそれが作り話なのかどうか、ほんとうのところは誰もわからなかった。


工場での勤務を終え、それぞれ別々の門から出ていった彼と彼女とは、近くのファミリーレストランで再び落ち合い、それぞれアイスコーヒーとミルクティーとを飲み干すと一台の自動車に乗り合わせて出かけた。ふたりが付き合っていることは工場内では秘密にしていた。社内恋愛が発覚すると、同じ職場に居づらくなるのではないかと考えたのだが、単に秘密にしていたほうが楽しいからそうしていたとも言えるかもしれなかった。
向かった先は小高い丘にある公園で、かつてゴミ処理場だったところに積みあがった不燃ゴミに土砂とコンクリートとを混ぜてそのまま山のように固めてしまった場所だった。今では夜景を楽しむ場所として有名で、植えられた木々や花々も美しく、ゴミの山の上に立っているとはとても思えない。
まだ陽が沈む前に工場を出たが、既に空には星がまたたいていた。公園からは街が一望できた。家々に灯ったあかりのもとでは、来週までアニメの続きを待ちきれない子どもたちが思い思いの続きを想像していることだろう、そう思いながら、彼は彼女に口づけをした。こんな風に、こんな夜景のみえる場所で口づけをされるなんて、まるで安っぽいドラマの登場人物にでもなったみたいだし、これまでテレビドラマや小説や、映画で描かれる物語をなぞるようには生きていきたくないと考えていたものの、実際にそのなかに身を置いてみると、これはこれで素敵なものかもしれないと、心地よくなりもした彼女がしばらく目を閉じたあとで、胸元をまさぐろうとする彼の手首を握ってすこし身をそらし、もう一度街を見下ろすと、家々の灯りはほとんど消えていて、その代わりに通りが燃え上がるように明るくなっていた。目をこらすと、それは比喩ではなく実際に燃えていた。子どもたちが、松明のように燃え上がるアメリカンドックを高くかかげながら、通りを練り歩いていた。さらに目が慣れてくると、ただ練り歩いているだけではなく、激しくステップを踏んでいるのがわかった。そのステップはサンバのリズムで地面に叩きつけられていて、それをみた瞬間、なぜか、大人たちはもうこの街にはいないのだと彼女は悟った。そして悲しいわけでも、うれしいわけでもなかったのに涙が流れてきたので、手のひらでぬぐったあと、手の甲がぽつんと赤くはれているのに気づいた彼女は、軽く舐めた舌先がシュワッとするその感覚の余韻にしばらく浸りながら、炎をかかげた子どもたちが遠ざかっていくのをずっと眺めていたのだった。

ピンチ!お父さんのボーナスが半減 そのとききみにできること


もしも父の日にプレゼントを渡してもお父さんが浮かない顔をしていたのなら、それはきみが描いた似顔絵がお父さんのマイナスな個性を全面に押し出したものだったからだけではなく、ボーナスが昨年の半分しか貰えなかった可能性が高い。お父さんのボーナスが半減してしまうと、夏休みに連れていってもらう約束をしていた旅行先が急遽近場に変更されてしまうおそれが出てくるし、きみの誕生日が冬のボーナス前だったとしたら誕生日プレゼントのリクエストが通りにくくなることも考えられる。それはきみにとっても一大事。ここでそんなピンチを回避するための、いくつかのアイデアを紹介するが、その前に、ボーナスが半分になってしまったからといってお父さんを責めないであげてほしい。大企業に勤めているお父さんはともかく、この狭い日本の大半のお父さんは中小企業に勤めているか、あるいは個人事業主として働いているはずだ。大手メーカーの国内操業停止、製造拠点の海外移転などにより、下請け、孫請け、さらに曾孫請けの中小零細企業では給与を削減して雇用を維持するかリストラを行うかという厳しい選択を迫られている。ボーナスが半分になったとしても、貰えるだけましだと考えているお父さんも多い。だから、きみたちにできることは、そんなお父さんたちを少しでも勇気づけ、明日も元気よく出勤して、きみたちがお菓子やおもちゃを買ったりするお金を稼いできてもらうようなコンディションを作り出すことであり、そのためのいくつかの方法をこれから紹介したい。


まずは、減ってしまったボーナスを穴埋めするべく、お金を増やす方法について考えていきたい。給与や賞与が減って元気を失っているお父さん、給料なんて我慢料と呪文のように唱えているお父さんたちからは、我慢料が減っていく一方で仕事から受けるストレスは減らず、むしろ増える一方でやりきれないという嘆きが多々あがってきている。したがって、減ってしまった我慢料を埋め合わせ、むしろ以前を上回る我慢料になれば、明日への活力ともなるだろう。
最初に必要なのは、お金だ。お金を増やすためには、その原資となるお金が必要だ。そこで、お父さんの財布から一万円を抜き取る、というのは間違いだ。いくらお父さんを元気づけるためとはいえ、勝手にひとの財布からお金を抜き取るのはいけない。ここはひとつ、いままでお母さんが貯金しておいてくれたきみたちのお年玉の一部を利用すべきではないだろうか。大事なお年玉が減ってしまう、とひるんではいけない。単にお年玉をお父さんに渡すのが目的ではなく、あくまでもお金を増やすためのもとになるお金が必要なのだ。お母さんが管理するきみ名義の口座から一万円を引き出したなら、まずは競馬場へ行ってみよう。近くに競馬場がないきみは、最寄りのウインズを探してみよう。競馬なんてやったことがないし、ルールがわからないというきみ、競馬新聞を握りしめ、なにやらボールペンで書き込みしながら歩いている中年男性だって、最初は競馬なんてやったことはなかったし、ルールも知らなかったはずだから、心配しなくても大丈夫だ。しかも今回は、競馬のルールを知る必要はないし、出馬する馬の特徴、騎手の成績を学ぶ必要もない。ここでは、(まったくの初心者がなにも知らずに選んだ馬が意外と当たる)という競馬ファンの、さらにいえば賭事全般のファンの間で囁かれ続けるビギナーズラックというものを利用するからだ。


競馬場へ行っても、きみたちはまだ幼いから馬券売場で馬券を売ってもらえない。だから代わりに馬券を購入してくれる大人を探さなければならない。ここで誰に馬券の購入を依頼するかが重要で、馬に賭ける以前にこの人選がお金の行方を大きく左右する。いくら競馬にカジュアルなイメージを持ってもらおうと広告を打ってみても、馬券売場に集まるひとびとの大半は気合いの入った競馬ファンなので、託したお金が行方不明になってしまう可能性が高い。ここでは、焦らずじっくりと、若い男女のカップルを探してみてほしい。特に付き合いだして日が浅そうなカップルを狙うとよい。カップルの女性が子どもをかわいがることで相手の男性に母性をアピールしたいという気持ちを利用し、男性に対しては子どもの頼みを聞いてあげる面倒見のよさをアピールする機会を与えるという意味で、ひとりで馬券を買いに来ているひとに依頼するよりも成功しやすいと考えられる。
馬の選び方はいろいろあり、わかりにくい点もあるが、カップルから教えてもらい、頭に浮かんだ好きな数字をチェックして馬券を購入し、あとはレースを見守ってうまくいけば換金するだけだ。きっときみはレースの最中、ここまで真剣になにかを見守ったことはこれまでになかったと気づくだろう。それをきっかけに、すべては競争で、競争に勝たなければ報酬は得られないと感じ、日々勉強に励むようになれば、短期的にお父さんを喜ばせるだけでなく、将来的にお父さんに大きな恩返しができる。多くのお父さんたちは、給料なんて我慢料、と思いながら、(あともう少し、勉強をがんばっていい大学を出ていればこんなことには)と後悔しているが、後悔先に立たずという言葉があるとおり、子どもの頃にはみんなそれに気づけなかった。みんなの内面や個性について、お父さんはちゃんと理解してくれているが、学校の先生や会社の人事の人たちはそんなことはわからない。だから決められた科目をどれだけ勉強できたかという基準で人を判断するのはとても公平な判断の仕方だし、単なる好み、雰囲気だけで人を判断しないためにはそれしか方法がないと言っても過言ではない。一着と二着の馬がほぼ同時にゴールし、写真で順位を判定している間にきみはそれに気づき、仮に、馬券が外れてお年玉を無駄にしてしまったとしても、的中した馬券の払い戻し金よりも大切なものを得たと目を輝かせて競馬場を後にすることだろう。したがって、当たれば増えたお金をお父さんの財布にそっと忍ばせてお父さんを喜ばせ、外れても将来的に親孝行ができるという意味で、これは絶対に成功する方法なので、ぜひ試して頂きたい。


いくつかの方法といいつつ、ひとつしか紹介できなかったので、最後に「父に捧げる日本語ラップ」を披露して終わりたい。金銭的な面以外で、お父さんを応援して勇気づけられるのはきみたちしかいない。バックトラックは用意していないので、お兄ちゃんかお姉ちゃんか弟か妹、兄妹がいないひとはお母さんにボイスパーカッションをお願いしよう、このラップで、お父さんに気持ちのいい月曜日を迎えてもらおうではないか!




今朝も満員電車で出勤
近々 に期日くる書類がパンパン
今日も為替は円高更新
押しつぶされながら読む新聞


カチカチならす三色ボールペン
じりじり続く会議 延々


立てば営業 座れば事務処理
歩く姿は模範囚


明日の契約 はずせば白紙
強く握った 胃の薬


遙かかなたの ノルマ達成
まるで逃げ水 蜃気楼
週ごとに確認 修正目標
いっこう に得られない達成感


ボーナス半減 手当は削減
昇給も減らされ 早急に節約に着手
ビールは卒業 発泡酒


月から金 終えて土日in da haus
どこも連れてってやれなくて ごめん
なんて言わずに Check it out YO men!


連れてってパパ 動物園
ソフトクリームなめて ご機嫌 
延期しないでよ水族館
イルカショーを待つ ドキドキ感


お父さん行きたい プラネタリウム 
星空の下の白昼夢

 
滑り台の下公園の砂場
デパート八階 おもちゃ売場
車で 電車で 自転車で
この瞬間 生きている実感
一緒に確かめる 二日間


ぼくも わたしも 父ちゃんの味方
誰よりも 尊敬してる背中


だから
上司なんか ぶっとばせ
仲間同士さ 手を貸すぜ
大人はみんな酒のみゃ
忘れてしまう生き物さ
ついてこいよ ついてこいよ
ABC ABC E気持ち


『UMA-SHIKA』第5号に参加しています。

第2号から参加させて頂いている『UMA-SHIKA』、紙媒体では最後の発表だそうです。参加者の特権で一足早く掲載されている作品を読むことができましたが、どの小説もかっこよくて楽しく、書店でみかける文芸誌に負けない読み応えがあると思いますので是非手にとってみてください、通販でも手に入るらしいですよ!「東京の友だち」は、ひとりの女性が自分の高校時代を回想するだけのお話です。金井美恵子の「小春日和」みたいな小説が書きたくてまねをしようとしたものの、そうはならなかったという感じですが、よろしくお願いします。


目次


《小説》東京の友だち 森島武士(id:healthy-boy


《エッセイ》アベベ通り 吉田鯖(id:yoshidasaba


《小説》温泉観音の思い出 フミコフミオ(id:Delete_All


《小説》青毛マスタングの恋と冒険 宮本彩子(id:ayakomiyamoto


《小説》鳥たちと霊感 紺野正武(id:Geheimagent


《小説》幽世ミュータント黙示録 保ふ山丙歩(id:hey11pop


《小説》稔実くんの家のパソコンとアルファベットの習熟状況について ココロ社id:kokorosha

詳細はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/uma_shika/