ある晴れた気持のよい気候の午後、突然あなたの家のポストに小包が投げ込まれた。階段をのぼってくる足音の荒々しさ、投げ込み様からは普通の郵便局員による行為とは思えない。小包の消印はリオ・デ・ジャネイロ、封を開くと古いノートの束が入っていた。ノートの紙が繊維に戻ってしまう程古くはないそのノートは、いつの時代のものか判断できない。ごくシンプルな表紙のものもあれば、狸のイラストが描かれているものもあった。狸のイラストからは吹き出しが出ており、(じっと我慢の子ダス)と話していた。そのイラストの画調からも、台詞まわしからも、時代を推測することはできなかった。表紙を開くと日本語でさまざまな文章が書き込まれていた。何気なく一冊目のノートを手にとったあなたは、窓の外がうす暗くなっても部屋の灯りをつけるのも忘れて読みふけりはじめた。

煙草を吸う理由として、間をもたせるために吸うと答える者が少なからずいることは周知の事実である。彼らの間をもたせてやれば、喫煙人口は減少すると考えられる。例えば、あまり親しくない者どうしが集まってテーブルを囲み飲酒するときなど。こんなとき、煙草を吸うのではなく、肩にかわいい動物をのせておけば間が持つ。煙草を吸うよりも長く間をもたせることもできる。日本たばこ協会は、煙草の売上減少に備えて、シマリスやインコ、リスザルなどの飼育に力を入れるべきではないか

あるノートにはこう記されていた。あなたはなるほど一理あると頷いた。その他のノートには、日本の信用金庫に勤務する男性の日常がながながとつづられていた。誰に向けて書かれた日記なのだろうか――あなたはふと思い出した、何年も前に、誰にも知られずに書き上げた短い小説を、たったひとり想定した読者に向けて送りつけたことを。緊張した面持ちであなたは何日も待ち続けた。一般的な日本人が生涯に郵便受けを確認するであろう回数の総合計を、数日間で超えてしまった。返事はこなかった。古い住所を頼りに送りつけたため、宛先に届いていないかもしれないとも考えたが、届いたが読まれなかった、読まれたが読まなかったことにされたとも考えられた。やがて、そもそもなぜ読者として想定したのかも忘れてしまい、あなたは小説を書かなくなった。
目の前が真っ暗になり、さすがに夜になったことに気づいたあなたは、灯りをともすと同時に鉛筆を握りしめ、ノートの余白に短い文章を書き込みはじめた。書かれていた文章を読み、余白に書き込み、書き込んだものと書かれていたものとを読み、と繰り返すうちに、あなたは書きやめることができなくなった。いつまでも読み続け、いつまでも書き続けたい、書き終わってしまうことはかなしく、書き続けることによってのみ生活が、人生が豊かになるに違いないとしか思えなくなった。

そのような経緯でかどうかはわからないが、全てのページが真っ黒に塗りつぶされた数冊のノートが彼の郵便受けに届いたが、彼は行列に並んでおいしいものを食べることが病的に好きな性格だったため、ノートのことは気にもとめず、明日はどんな行列にならんでやろうかといったことだけを考え続けたのだった。