毎朝快速列車を降りると改札を出てバスセンターへと歩いていく。月曜から金曜まで横道にそれることなく階段を上ると、まず高速バスの乗り場があり、大きな荷物を持ち明るい色づかいの服装の人たちが並んでいる。佐世保、香川、富山、京都、東京と行き先を横目でみながら、職場行きの乗り場へと向かわずにそのまま佐世保へ、香川へ、富山へ、京都へ、東京へ行ってしまいたくなるけれど、毎朝我慢して体の向きを変えずに歩ききる。
しかしながら、誰もが突然の、期限を定めない旅に出たいという気持ちを抑えられるわけではない。旅立つ前からふいに旅情が溢れだしてしまい、通勤途中で行方不明になる者は後を絶たない。中には突然旅に出たとみせかけて、周到に準備をしている者もいる。高速バスのチケットを買っておくのもひとつの方法だが、よりさりげなく、より突然に旅立つ方法がある。金銭的に余裕のある者にしか許されない方法だが、JRの自動券売機に定期券を入れ、機械のボタンを秘密の順番と一定のリズムで押したあとで行き先に応じた数枚の紙幣を入れると、デジタルの画面表示が反転し、特別なチャージができる。あとは駅の通路に貼られている、旅行へと人びとを誘う美しい風景のポスター、たとえば「週末は山梨にいます」といったコピーが書かれたそれに、定期券をピタリとつければ写真へと吸い込まれていく。それは、ローションで満たされたプールに飛び込んでいくような感触らしい。月給のうち何割かをチャージするだけで、本人確認など必要ない。旅行用の大きな鞄を持参するのは大げさなので、通勤用の薄い鞄に荷物を忍ばせる。折りたたみ傘、折りたたんだ下着、折りたたんだタオル、入り込むポスターの写真が海峡などの場合には、転送される場所が海の上かもしれないので折りたたんだ浮き輪をしまっておくこともある。
ポスターの風景は現実に存在するものであるにもかかわらず、秘密のチャージで飛び込んだ先は存在するかどうかわからない。おのおのがおのおのの風景へと飛び込んでいき、同じ風景をふたり以上で共有することがない。通常通り切符を買って電車でそこへ行こうと思っても、似た風景の場所へは行けても同じ場所ではない。


毎年夏になると、休暇をもらって旅行へ出かけてきた。旅先は福井や金沢が多く、みてきた風景のほとんどはお前と切り離せない。前日に職場の飲み会から抜け出せず、ほとんど寝ないまま車で東海北陸自動車道を走って海水浴に行き、お前とほかの友人とで船に揺られて無人島へと渡ったことがあった。水島という島だった。またあるときは金沢に住む知人を驚かせようと、あらかじめ連絡せずに突然訪ねて行ったこともあった。金沢に住む知人が運転する車の前に突然飛び出し、運転する彼の驚いた顔をみたとき、お前も大笑いしていたはずだ。福井の海岸沿いを走りながら食事できるところを探し回ったあげく入った回転寿司店ではほとんど寿司がまわってこず、注文してもゲソしかないと言われたこともあった。
今後福井や金沢を訪れても、お前と遊び回ったときほど楽しむことはできないだろう。あるときからお前は電話にまったく出なくなり、連絡を取ることができなくなった。お前の身になにが起きたのかわからず心配するも、どうすることもできず、連絡もせずに突然お前を訪ねたとき、お前は無表情で、皮膚の上はいままでのお前と同じだがまったく別人が入り込んでしまったようでおそろしかった。会話もできないままお前は立ち去った。あれからお前はどうしているのかとときどき思い出す。あのときの海岸や金沢駅のロータリーや回転寿司店のことにも思いを巡らすけれど、どの風景もほんとうにあったものだという確信が持てない。お前だけでなく、あれから何人かの友人を失った。彼らもまた気づかぬ間に別のひとになっていたのかもしれない。よくよく考えてみると、お前と遊び回ったという記憶も誰か別のひとのもののような気もしてくるし、そもそも生まれてから死ぬまで、夜眠りについて朝目覚めるまで、同じひとでいつづけることのほうがおそろしいことのように思えてくる。でももう逃げられない、本人確認されてしまった、市役所から死ぬまで同じひとだと決めつけられてしまった、賃貸契約を結んでしまった、口座から毎月家賃が引き落とされることになってしまった、だから秘密のチャージもしないし、ポスターの向こうへ飛び込むこともしない。お前はもしかしてまったく違うやり方で旅に出てしまったのか?もし戻ってくる気になったら電話してほしい。そのために電話番号はいまも変えていないから。