ノンストレス・ライフへの招待状


月曜日から金曜日まで毎朝シャツに袖を通しネクタイをしめて、ズボンをはいてベルトをしめて、ズボンと同じ色のジャケットを着てお弁当を持って自転車に乗って駅に向かうと同じ時間帯に駅に向かうスーツ姿の男たちがそれぞれ同じように自転車にまたがって赤信号の前に勢ぞろいする。名前も年齢もわからないけれど顔だけはなんとなく覚えていて、彼らとの距離によっていつもより家を出た時間が早いか遅いか判断できることもある。同じスーツ姿の男性でも、それぞれ違う顔をしていて、区別ができる、でももっと幼い頃はスーツ姿の男性をみれば、(働いている大人がいるな)と思うだけだったはずで、ましてやそれぞれのスーツ姿の男性が考えることなんて、それぞれの職業に関することだけだと考えていた節もあったような気がする。学校の先生は勉強を教えることだけを考え、警察官は泥棒を捕まえることだけを考え、消防士は火を消すことだけを、銀行員はお金のことだけを考えているとは思っていなかったとは言い切れない。


大人になってはじめて、みんなそれぞれ身につけている制服に関することだけを考えて生活している訳ではないと実感するようになった。駅についてホームで電車を待っているところへクイズが出題される。では、この列に並んでいるスーツ姿の男性がいま考えていることは、なに?二十秒以内でお答えください・・・・・・


ストレス社会と一言で言っても、ストレスにもいろいろな要因があるに違いなく、会社員なら上司から受けるストレスをいかに軽減するかが夢のノンストレス・ライフへの第一歩。恐ろしい上司からは、視線を向けられただけで心臓を握りつぶされそうな思いをするのが社内の大半を締める被管理者たちで、彼らが視線をかわそうとして行う席替えはまさに命がけ、仮にもろに視線を浴びる位置になってしまったなら、ボックスティッシュをさりげなく置き、出した一枚のティッシュペーパーで視線を遮ることだってするし、いざとなれば視線を避けて机の下にもぐることだって辞さない。机の下には非常用のお菓子が常備されていて、甘いお菓子と辛いお菓子を交互に食べて心を落ち着け、ころあいをみはからって机の上へと再浮上し何事もなかったかのように仕事を続ける。


被管理者としては、自分の生活の糧となる給与の上下を握られていて逆らえないことが大きなストレスのひとつになっているとも考えられる、かもしれない。だから、できることなら、複数の仕事を持つことがノンストレス・ライフへの第一歩、かもしれない。あるときは銀行員、またあるときは移動式パン屋さん、あるときは警察官、またあるときは化石発掘業者、あるときは教師、またあるときはバナナの密輸業者、そうなれば子どもたちも、大人たちをひとくくりの存在としてそれ以上深く考えることをやめているわけにはいかなくなる、かもしれない。


上記のようなことを、この列に並んでいるスーツ姿の男性たちが考えているわけではないとなると、いったいなにを考えているのか、それともなにも考えてはいないのか、二十秒は一瞬で過ぎ去り、電車はホームに到着してしまう。だからといってクイズの答えはすぐには教えてもらえない。答えが知りたくてまたこの鉄道を利用してもらいたいという思惑が鉄道会社のクイズ企画者側にないわけでもない。それにしても、いまや自由に、かっこわるいたとえ方をするならカメレオンのように、複数の職業を行き来する現代の大人たちが考えていることを推測するのはほんとうにむつかしい。そうこうしているうちに、空は暗くなり、オフィス街から出てきたスーツ姿の男性たちがおもむろにポケットからスマートフォンを取り出して画面を発光させる。それは全国各地でみられる光景であり、空を飛ぶ鳥たちから見おろすと、ひとりひとりの手元の灯りがまるで星座のように輝いてみえ、しかもその星座には毎秒形を変え、みるものを飽きさせない美しさがあったけれど、鳥たちには光をつないで形を思い描くという発想がなかったので特になにも考えることはなかった。