「ポリチンパン」4


 新商品開発会議には、開発部だけでなく営業部も代表者が出席することになっていた。営業部長が出張で不在のため、代理で出席することになった彼はコインパーキングに営業車を停め、会議中に居眠りするのを防ぐために自動販売機でユービックを一缶買った。テトリスのBGMを口ずさみながら車道を渡り、オフィスビルのエントランスへ駆け込んでエレベーターの上昇ボタンを押すとすこし息が切れたため鼻歌は中断し、ステイオンタブ式の缶蓋を開けて一口飲み、(会議のときにはいつもこれを飲んでいたが、ぬるくなってくると唾みたいな味がするから会議の前に飲みきってしまおう、目が冴えてくる唾、神の唾液か)と考えているとエレベーターのドアが開いた。
 再びドアが開くと本部が入居するフロアだった。上の階には回転寿司チェーンの本部が入居しており、下の階には希少野生動物流通業者が入居していた。円形に配置された会議室のテーブルには既に資料が置かれており、経理部の担当者が缶コーヒーを片手に資料をめくっていたり、開発部のメンバーがプロジェクターの動作を確認したりホワイトボードにペンを並べたりしていた。会議室に来るのは何カ月ぶりかを思い出すことができなかったが、前に来たときにはなかったカレンダーが壁にかけられていた。カレンダーの上半分は太陽の光を受けて輝く海が写っている写真で、下半分が日付になっていた。なにかがおかしいと感じたが、すぐにはわからなかった。どこかの高台から見下ろされた海にはヨットが浮かんでいて、建物はひとつもみあたらないが、日本の海にはみえなかった。地中海だろうか、こんな会議に出席するより、いますぐこの写真の中に入り込んでビーチで寝ころびたいと考えているとドアが開き、役員が三人並んで入ってきた。
「それでは、定刻になりましたので」「いえ、訂正します、定刻より少し早いですが揃いましたのでただいまより会議を開催いたします」「本日はご多忙のところ、ご出席をいただきましてありがとうございます」「なにぶん不慣れでございます、みなさまご協力をどうぞよろしくお願いいたします」「早速ですが、お手元のチップをご覧ください。前回の会議において、機械本体の色の変更を検討してはどうかとのご意見がございましたので、色見本をご用意いたしました」
 司会が「チップ」と呼ぶものは、切手くらいの大きさのプラスティックの欠片が並べられたものだった。
「葬儀用の機械なのだから、もう少しシックな色味にしてはどうか、とのご意見でしたが、シックなチップはどれか、決を採りたいと思います」「早速ですが」「不慣れなもので」「まちたまえ」「チップって君、こんな破片ではイメージできんだろう」「シックな色味といいますが、シックの意味とは」「何語だ」「英語か」「フランス語でしょう」「シックな機械とは」「上品で洗練されているさま、とあります。いま調べました」「いままでのは下品だったとでも言うのか」「葬儀用だから、とシックな色味、とはつながるものなのか、果たして」「そもそも論か」「コンサバティブ」「なんだ」「誰だ今コンサバティブといったのは」「シックはなんとなくわかりましたが、コンサバティブはどういう意味でしたっけ」「保守的な、とか控えめな、という意味だろう」「葬儀用だからコンサバテ
ィブな色味にしてはどうか、ということでしょうか」「シックなチップとコンサバティブなチップ」「決を採りたいと思います」「まちたまえ」「おいチップしかないのかチップしか」「イメージできん」「実はそういったご意見もあろうかと、実物大の見本も用意してございます」「なんだ」「最初から出せ」「パールホワイト、パールブラック、パールブラウン」「パールしかないのか」「シックな色味とのことでしたので」「一理あるな」「一理あるか」「もう一種類、シャンパンゴールドも用意があります」「決を採ります、シックかコンサバティブ、どちらかに挙手願います」「僅差ですが、シックに決定します」「色についても挙手を願います」「全員一致でパールホワイトに決定します」
 ホワイトボードに「パールホワイト」と記され、あらかじめ書かれていた進行表の「色変更について」の項目が線で消された。(何色でもかまわない、早く会議が終わったほうがいい)そう考えて彼は人数が多そうなところで手を挙げていた。会議の合間に地中海と思われる風景に目をやった。(腹が減ってきた、上の階で新作寿司の試作が余って、おすそわけが来たりしないだろうか)
「続きまして、次の議題、商品名の変更について」「かねてより、当社の主力商品である「ジャンケンマン」について、「マン」と男性に限定するのはおかしいのではないかとのご意見が、お取引先ならびに社内からも挙がっておりました」「また、ジャンケンについても、ルール自体を変更するのは困難かもしれないが、呼び名を変えることで新鮮味が出せるのでは、とのご意見もございました」(寿司が食べたい)「そこであたらしい名前の案をいくつか検討いたしました」(あの地中海と思われる写真の海から、ピョコンと寿司が飛び出して来たらいいのだが)「その結果、我々としてはこれしかないという結論に至ったため、ひとつしか用意しておりません」


「ポリチンパン・ピープル」


 その瞬間、それまで明るかった窓の外が急に暗くなり、向かいのビルの屋上にある避雷針に雷が落ちた。まるであたらしい商品名の発表を格好よく演出したかのようなタイミングだったが、雷は会議の進行具合にあわせて落ちた訳ではなかった。この地球上ではこういったことがまれに起こるが、当ネットワークが関知する限りでは特定の何者かの行動や心情にあわせて天候が変化することは一切ない。ちなみに、太陽の光を受けて輝くカレンダーの写真の中の海は地中海で正解、カレンダーのなにかがおかしいと感じた理由は、前年度のカレンダーのため曜日が異なっていたからだった。彼は介護施設を訪れた際にもカレンダーをみて同じようにおかしいと感じたことがあったが、それも同様に年度が異なるカレンダーがかけられていたからだった。


 「決を採りたいと思います」「まちたまえ」「ポリチンパンというのは、ソウルで売られている麦蒸しパンです」「ポリチンパンという音が思い浮かんで、これはあたらしい、オリジナリティに富んだ名前だと思い、念のためグーグルで検索したところ、麦蒸しパンのことでした」「商標登録されているものではなさそうなので、権利関係は問題ないと考えられます」「ジャン、ケン、ポン」「ポリ、チン、パン、どうでしょう」「ポリ、チン、パン、あいこでしょ」「あいこはそのままなのか」「ピープルとはなんだ」「ピープルは必要ないんじゃないか」「ポリチンパンと、ポリチンパン・ピープル、どちらがよいか、挙手を願います」(急に雨が降り出したな、そういえばラジオで夕立に注意が必要だと言っていたけれど、傘を持っていない。会議が終わる頃には止むといいが)(おや、あれはなんだ?)
「カメレオンだ!」


 急に降り出した雨に打たれながら、一匹のカメレオンが会議室の窓ガラスを下の階から上の階へと向かって這っていった。会議室の全員がカメレオンのゆっくりとした動きを見守ったあと、商品名は決定した。そして数年が経ち、機械本体の色が何度か変更されたのち、いま、まさに進行している葬儀の、ホールの中心に置かれた、まるで墓石のような色をした樹脂性の立方体の中心で、かつてグーやチョキやパーと呼ばれ、いまではポリとチンとパンと呼ばれるようになった三つの手の形にめまぐるしく変化しながら明滅する光の上部に取り付けられたアルミ製のプレートには、「無」と刻まれている。まるで小津安二郎の墓石のようだ。