筋肉質の人工衛星
残業していたら急に誰かが「名古屋駅が真っ暗だ!停電か!?」と大きな声を出して、みんな窓に駆け寄った。よく目をこらすと駅のビル群の灯りが雨雲に隠れて暗くなっていただけだった。でも急に数キロ先の高層ビル群が真っ暗になるなんて、急に世界が裂けたみたいでびびりながら興奮したりうっとりしたりしてしまう。
今日は仕事中に初めて海外に電話をかけた。メールの署名欄に(日本語可)と書かれていたので、通話口からニーハオみたいな言葉が聞こえてきたけど、もしもしと日本語で押し通してしまった。そんな調子だから、まだまわりの人たちみたいに英語で電話したりとてもできない。
あたらしい仕事に変わってまだ1か月経っていないけど、わからないことばかりで気後れしてしまう。そんなときこそ筋トレだ、と思って腕立て伏せをする。昔職場で誰か体格のいい若者が、上司の誰々が怖いとかそんなような話題の時にふと「でもね、タイマンだったら勝てるっしょ」と言っていたのがずっと印象に残っている、タイマンだったら勝てる、タイマンという言葉を社会人として耳にすることがあるなんてと。タイマンとは、検索すると助太刀無用の一対一の喧嘩、と出てきた。職場で上司と助太刀無用の一対一の喧嘩、それくらいの気持ちで仕事していれば気後れすることもないだろう、そう思って床の木目を睨みながら身体を上下させる。タイマンだったら勝てるという気持ちは、職場だけでなくビジネスマンとしての交渉ごとにも大いに役立つことだろう。高収入を得る優秀なビジネスマンたちの勝負どころ。スーツを脱ぎ去って剥き出しの胸板をぶつけ合う。そして血管を浮かび上がらせた陰茎を刀のようにぶつけ合い、火花が散る。散った火花がまわりの電気系統をショートさせ、高層ビル群がブラックアウト。ニーハオもハローも聞こえなくなって鋭い眼光だけが浮かび上がるハードネゴシエーション。
そんな世界でやっていけるのか不安だけど、いまできることをひとつずつやるしかない。腕立て伏せをもう一回、英単語をもうひとつ…
ジムで汗を流すような派手さはなく、みなが寝静まった夜中に木目をみつめて腕立て伏せに励む男たちはみな孤独で、連帯しない。ただ道ですれ違うとき、前日の筋トレでこわばった筋繊維同士がチチッと静電気のような挨拶を交わすのみ、こんにちは、お元気ですか?よい週末を。