キックオフミーティング(続・スポーツのない世界)

先日取引先とキックオフミーティングを行った。生まれてはじめてのキックオフミーティングだった。その集まりをキックオフミーティングと呼んだのは、前任者も毎年プロジェクトを開始する際にキックオフミーティングをしていた、との記録が社内の共有フォルダに残っていたので、それを手がかりにキックオフしたからだった。

キックオフと聞くとどうしてもサッカーやラグビーなどの試合開始時に勢いよくボールを蹴る選手の姿が頭に浮かぶ。

高校生の頃、体育祭のサッカーでなぜかボールの上に玉乗り状態になり、そのまま倒れて背中を打って息が止まった経験がある者としては、とてもいやな気持ちになる。なぜビジネスの場で球技を連想させる必要があるのか。

取引先とのやり取りにおいて、現在どちらが作業をしなければならない状態にあるのかを言い表すのに、「球はどっちにあるのか?」という聞き方をするひともいる。硬いボールがそれなりのスピードで飛んでくるのが怖くてキャッチボールができなかった者としては、できれば球は投げないでもらいたい。

そのほかにも、仕事上の役割を野球やサッカーのポジションに例えて話すひとも多く、ビジネスの現場にはスポーツ関連のコードが至るところに張り巡らされており、目に見えないかたちで「スポーツが得意な者=筋力があり俊敏に動ける者、自らの身体を自在に操れる者」が組織を支配する構造ができあがっている。会社という組織は、スポーツが苦手な者にとっては非常に不利な場所になっている。小学校、中学校、高校と体育の授業の度に悲しい思いをしてきて、ようやく体育の授業から開放されたかと思いきや一生スポーツに苦しめられ、打ちひしがれている者たち。この状況を抜け出す方法はないのだろうか・・・・・・

その他にもビジネスの現場においてできれば耳にしたくない言い回しは存在する。スポーツとは関わりがないが、「鉛筆なめなめ」という言葉も、口の中に苦い味が広がってくる感じがするので聞きたくない。子どもの頃、鉛筆の成分は毒だと思っていたので、幼い弟の足に折れた鉛筆の芯が刺さったときには(このままでは鉛筆の毒の成分が血管を通って全身にまわりしんでしまうのではと)青ざめて、すぐに毒を取り除かねばと安全ピンの先で芯のまわりを刺してオペを行い、弟は弟で兄を信じて歯を食いしばっていた、そんなときのことが蘇ってくるので、できれば鉛筆はなめなめしないでもらいたい。

もちろん、仕事中に聞く言葉の中で、好印象を抱くものもわずかながら存在する。

物事を比較するときの「アップルトゥアップル」はリンゴが二つ並んでいてかわいらしい、さわやかな印象を受ける。どうせなら、このままビジネスの現場で使う言葉はフルーツ関連のものに統一してはどうか。

キックオフミーティングは廃止して、「もぎたてミーティング」とする。

プロジェクトが終了する頃にはどんな味のジュースやワインができあがるのだろうと、口の中に爽やかな味が広がる。会議室は果樹園になり、果実をもぎ取った拍子に果汁がネクタイやシャツに飛び散ってしまったので上半身裸になる。長い間陽にさらされることのなかった腹や背中に太陽の光が注ぎ、恐ろしいスポーツの影は消える。スポーツを連想させる言葉をひとつひとつ取り除いたところに種を蒔き、やがて収穫祭を迎えるーーいかがでしょうか。この提案が安全ピンの先のように皆様に「刺されば」と存じます。ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

万国の心配性の者たち

生まれてから四半世紀を過ぎるまでずっと、粉薬を飲むのが苦手だった。幼い頃、母親から教えられた飲み方は、舌をUの字型に曲げたところへ粉をさらさらと流し入れるというものだったけれど、まず舌をU字型にできなかったし、舌の上に粉薬をのせると薬を味わってしまい、その味が気持ち悪くて吐いてしまうこともあった。

結婚してから妻に教わった飲み方は、舌の下にある歯に囲まれた空間に少し水をためておき、そこへ粉薬を流し込むというもので、この方法なら薬をあまり味わうことなく飲めるのでかなり楽になった。教わるまでずっと病院に行くたびに(粉薬を出されたらどうしよう)とびくびくしていた。他にも怯えることはやまほどあった。物心ついた頃からとにかく心配性で、公園で遊んでいてもどこかで頭をぶつければ脳内出血で死ぬんじゃないかと不安になった。トイレで用を足せば、またすぐにしたくなるんじゃないかと不安になってトイレから出られなくなった。スイミングスクールに行けば水の中で苦しい思いをするのを想像しただけで絶望的な気持ちになり泣き叫んだ。服を着れば服の生地が肩のあたりと擦れる感覚が気になってしかたなく首を傾げる動きを何度も繰り返した。首を傾げた拍子に柱に頭をぶつけてまた脳内出血の不安に悩まされる。またなんとかスイミングスクールまでたどり着いても、プールの中でおしっこがしたくなったらどうしようと不安になってトイレから出られない。そんなことが続いてストレスから胃痛に悩まされ、病院に行けば粉の胃薬を出されて青ざめる、この繰り返しで四半世紀が過ぎてしまった。

そしてネクタイを締めた成人男性の姿をした今も、仕事で大事な打ち合わせがある前には緊張してトイレの個室にこもってしまう。脇の下を冷たい汗がつたっていく。子どもの頃なら泣き叫んで家に帰るところをなんとか耐えている、かのようにみえて、成人男性の姿をしたロボットを操縦しているのは6歳児であり、脇の下から流れているのはその6歳児の涙にすぎない。

同じような幼少期を経て、いまもそんな毎日を過ごしている者たちは、ほんとうはお互いに支えあっていくべきなのに、みんな怖がりで誰も積極的に声を上げられず、各々の不安の中で打ちひしがれている。万国の心配性よ、団結せよ!と呼びかけるような者は、そもそも怯えながら生きているはずがない……

少しでも将来の不安を減らすため、何か勉強しておきたいという気持ちからTOEICを受験した。

英文を読み、その文章が意図するところを選択肢の中から選ぶ問題を解いている最中、各地の試験会場の中で数名、鉛筆を持つ手が止まった。そこに書かれている英文は、まさに自分が幼少期の頃から悩まされてきた不安について書かれたものだった。頭を打つとすぐ不安になる者、トイレから出られなくなる者、ストレスから胃痛になり、粉薬の飲み方に苦しんできた者、すべての悩める人への特別クーポンです。当店で御食事された方にカリフォルニアロールをサービス致します……

回答用紙の該当箇所のマークが涙で滲んでいた人にだけ、後日配達記録郵便が届く。手紙の中には見慣れない住所しか書かれていない。しかし、受け取ったときにはそれが何を意味するのか既に気づいている。

手紙で指定された住所地へ行くと、シャッターが下りたままの店が目立つ商店街の中に一軒のスナックがある。店の外から中の様子を伺うことはできないのに、なぜかその扉を押すことには不安を感じない。深い赤色をしたビロードのカーテンに囲まれた室内には、既に席に座ってグラスを口に運んでいる人たちがいる。お互いに言葉は交わさず、黙って頷きあうだけでそっと隣に腰かける。やがてマイクを渡され、曲が流れ出す。ここでは人前で歌うことを恐れて泣く必要はない。店内に入ってどれくらいの時間が流れたのか。どこかから朝日が差し込んでいるのか、それとも夕陽に照らされているのか。打ちひしがれた者たちが、ロボットの中の6歳児が、自分の肌で風を感じておだやかにほほえむことができる時が、すぐそこまで来ているのかもしれない。

 

わけのわからないことで

悩んでいるうち

老いぼれてしまうから

黙りとおした 歳月を

拾いあつめて あたためあおう

 

 

へそはあたらしくなる

こら!あたらしくなったばっかりのおへそにそんなことやるな!

朝なかなか起きない息子のパジャマをめくって腹に唇をあててブーッとやると、そう怒られた。意味がわからず、寝ぼけているのかと思ったけど、あとからふと気になって(もしかして、おへそって毎朝あたらしくなると思ってる?)と聞いてみると、そんな当たり前のことを聞いてくるなといった顔で、うんそうだよと答えた。

毎朝おへそがあたらしくなるってどんな感覚なのか。子どもの頃そんなこと思っていたかなと振り返ってみても、思い当たることはなかった。毎朝おへそはあたらしくなるし、月曜日の次は火曜日で火曜日の次は水曜日だと決まってもいないような、まるでルーレットで曜日が決まってたまたま幼稚園に行く日だったり休みの日だったりするようだし、父ちゃんが会社の飲み会で遅くなるときは100時に帰ってくると思っているみたいだし、いつか時間の流れ方が変わってみんなもっと自由に、楽しく暮らせるようになるといいなと心の底から思う。

Mostly sleep

転職してから夜遅くまで残業することが増えた。早く家に帰れるかどうかだけで考えれば、前の仕事の方がよかったということになるはずだけど、そうは思えない。早く帰れるといっても、まだやるべき仕事が残っていて(お前なんかに払う残業代はないからとっとと帰れ)と言われながら追い出されるような職場で気持ちよく仕事ができるとは思えない。結局のところは言われ方次第という気もするけど、早く帰ったとしてもずっと嫌な気持ちが続くのはよくないことだったと思う。そんなに簡単に、テレビ番組からネットフリックスにチャンネルを変えるみたいに、気持ちは切り替えられない。

とはいえ帰りが遅くなればやっぱり疲れるし、眠たい。目をしょぼしょぼさせながら、ものすごい猫背でパソコンに向かうことになる。眠気と猫背は関係ないかもしれないけど。

そもそもこんなに姿勢が悪くなった原因は、子供のころおばあちゃんが好きでおばあちゃんの真似をしているうちにこうなったと思っている。祖母が大好きで、よく祖母におんぶされながら軍歌を歌ってもらっていたと聞いているし、その軍歌もうっすら覚えているような気がする。りょじゅんかいじょうやくなりて〜まではメロディも浮かぶ。祖母は最近老人ホームに入った。認知症で、家族のことも覚えていないようにみえる。少し前までは、声をかければひ孫のことはわからなくても孫のことくらいはぎりぎりわかっていそうにもみえたけど、いまはもう違う。老人ホームへはまだ会いに行っていない。一日一日をほとんど眠って過ごしているのだろうか。

 

コアラの一日 ほとんど睡眠(A koala’s day mostly sleep)

 

そう動物園のコアラ舎の看板には書いてあった。コアラは1日のうち20時間くらいを睡眠と休息で過ごすらしい。主食のユーカリは栄養が少ないので省エネの生活、とのこと。

コアラも、祖母も、そして自分も、みんな眠たがっている。猫背というよりコアラのように背中を丸めてパソコンに向かう。コアラはコアラ舎のガラスの向こうで、祖母は老人ホームの一室で、自分はガラス張りのオフィスで、それぞれ眠がりながら過ごしている。動物園からユーカリを与えられるもの、国から年金を与えられるもの、会社から給与を与えられるもの。いろいろ共通点があるその三つの点を繋いだなら、地図上にどんな三角形が現れるのか。かつて祖母と一緒に動物園のコアラ舎へ行き、三つの点は一つになった瞬間もあったはずだ。どの点も灯りが灯っていて、まだ消えてはいない。

祖父が癌で亡くなる直前、自分は高校生だったけど、家族の他の誰でもなく祖母の名前を繰り返し呼ぶのをみて、そういうものなのかなと思ったのを覚えている。いまとなっては、他に誰の名前を呼ぶことがあるのかと思うようになった。そういうものなんだろうなと思いながら、三角錐のてっぺんあたりを眺めたりする。

ちなみに東山スカイタワーはてっぺんがピラミッドの形をしているし、タワーの途中には丸いパラボラアンテナがあるし、日本で一番かっこいいタワー型建造物です。

かわいい飛来物

おぼつかない英語で書くイーメール、怪文書みたいになっていないといいけどと思いながらそっと送信ボタンを押した。押した瞬間、手紙を入れた瓶を海に放ったような気持ちに一瞬なった。つたない英文が太平洋を漂っていく。波間に浮かぶ透明な瓶が、洋上風力を受けて回る巨大な発電機の群れの横を通り過ぎていく。

台風ってこんな時期まで来るものだったっけ、10月に入ったのにこの暑さはいったいどういうことだろうなんてここ数年同じことを繰り返し思っているような気がする。風災による被害の報告が殺到して損害保険会社は大変なことになっているらしい。暴風による屋根のはがれ、飛来物によりガラスが破損。ガラスを割ることなく、ソフトランディングするかわいい飛来物が自宅の窓に張り付いた。さっそくモモンガ ムササビ  違い で検索する。モモンガ ムササビ  食事 も調べてみる。スーツの内ポケットに忍ばせて、自転車に乗っているとまるで自分が世界名作劇場の主人公のような気分になる。生き物だから仕方がないけど、できればおしっこやうんちはしないでほしい、それはあまりにもわがままで、ぬいぐるみを欲しがる子どもと変わらない。だけど、毎晩イケアで買ったミイラのぬいぐるみを抱いて寝ている息子をみていると、心を落ち着けてくれるそんなパートナーが自分にも必要なんじゃないかと思えてきて、ドライフルーツを多めに内ポケットへと差し入れてしまう。内ポケットのかわいい飛来物が、怪文書を送信するときの鼓動に驚いてまどろみから覚めてしまった。その昔、ブラジル と文字で書きさえすればそこにコパカバーナビーチが現れるように思いながら、どこまでも世界が広がっていく、広げることができると思いながら、文章を書いていたことがあったけど、いまとなってはそれは間違っていたように思う。

 

筋肉質の人工衛星

残業していたら急に誰かが「名古屋駅が真っ暗だ!停電か!?」と大きな声を出して、みんな窓に駆け寄った。よく目をこらすと駅のビル群の灯りが雨雲に隠れて暗くなっていただけだった。でも急に数キロ先の高層ビル群が真っ暗になるなんて、急に世界が裂けたみたいでびびりながら興奮したりうっとりしたりしてしまう。

今日は仕事中に初めて海外に電話をかけた。メールの署名欄に(日本語可)と書かれていたので、通話口からニーハオみたいな言葉が聞こえてきたけど、もしもしと日本語で押し通してしまった。そんな調子だから、まだまわりの人たちみたいに英語で電話したりとてもできない。

あたらしい仕事に変わってまだ1か月経っていないけど、わからないことばかりで気後れしてしまう。そんなときこそ筋トレだ、と思って腕立て伏せをする。昔職場で誰か体格のいい若者が、上司の誰々が怖いとかそんなような話題の時にふと「でもね、タイマンだったら勝てるっしょ」と言っていたのがずっと印象に残っている、タイマンだったら勝てる、タイマンという言葉を社会人として耳にすることがあるなんてと。タイマンとは、検索すると助太刀無用の一対一の喧嘩、と出てきた。職場で上司と助太刀無用の一対一の喧嘩、それくらいの気持ちで仕事していれば気後れすることもないだろう、そう思って床の木目を睨みながら身体を上下させる。タイマンだったら勝てるという気持ちは、職場だけでなくビジネスマンとしての交渉ごとにも大いに役立つことだろう。高収入を得る優秀なビジネスマンたちの勝負どころ。スーツを脱ぎ去って剥き出しの胸板をぶつけ合う。そして血管を浮かび上がらせた陰茎を刀のようにぶつけ合い、火花が散る。散った火花がまわりの電気系統をショートさせ、高層ビル群がブラックアウト。ニーハオもハローも聞こえなくなって鋭い眼光だけが浮かび上がるハードネゴシエーション

そんな世界でやっていけるのか不安だけど、いまできることをひとつずつやるしかない。腕立て伏せをもう一回、英単語をもうひとつ…

ジムで汗を流すような派手さはなく、みなが寝静まった夜中に木目をみつめて腕立て伏せに励む男たちはみな孤独で、連帯しない。ただ道ですれ違うとき、前日の筋トレでこわばった筋繊維同士がチチッと静電気のような挨拶を交わすのみ、こんにちは、お元気ですか?よい週末を。

 

スポーツのない世界

大学を卒業してから14年か15年、正確には14年と何ヵ月ということになるんだろうけど、勤めてきた信用金庫を退職して、9月からあたらしい会社で働きはじめた。2000年、みたいなキリのいい数字は覚えやすいから大学に入学した年は覚えているけど、2018年というキリがよくない数字はきっとすぐに忘れてしまうだろう。

毎日外壁にひびが入りかけた古い二階建ての支店からスーパーカブに乗ったり軽自動車に乗ったりして営業に出かけていき、ノルマが達成できたとかできなかったとか、圧倒的にできなかったときのほうが多かった気がするけど、朝礼があったり終礼があったり夏の暑い日があったり冬の寒い日があったりしながら働いてきて、ここ数日はオフィスビルの27階、全面ガラス張りの空間で首から社員証をぶら下げてまわりの人たちが何をやっているのかまったくわからずに居心地悪く宙に浮かんでいるような日々を過ごしながら、14年か15年くらい前に自分が選ばなかった人生、というか生活が座布団のように積み重ねられた上に急にすとんと座らされてふらふらぐらぐらしているような感覚を味わっている。ぐらぐらしながら見下ろした街の中を、白い軽自動車が走って行くのがトミカよりも小さくみえる。

朝のニュース番組をつけると、スポーツ選手たちが受けたパワーハラスメントの話題が多くて、そういう話題をみながらそもそもスポーツって怒られてまでする必要はないから、スポーツをなくせばいいのにねと妻に話したけど、心の底からそう思っている。

子どもの頃、あまりにも運動が苦手な様子をみて心配した母親に、体操教室に連れていかれたことがあった。ただ遊んでいるだけだから、と聞かされてその場へ行き、実際に教室が始まる前の数分はおのおの自由に遊んでいるだけだったけど、突然音楽が流れて一か所に集合させられたときに、話が違う!と怖くなって泣き出してしまったことを覚えている。最近の職場での自分も、体操教室のときと同じように全身で不安を感じている。体操教室の先生の顔やまわりの景色は忘れても、そういう気持ちはいつまでも残るものだと、首から社員証をぶら下げながらあらためて考えた。

こんなに怖がりなのに転職をしたのは、上司から頻繁に辞表を書けと責められることが続いて嫌になってしまったのがきっかけで、それをパワーハラスメントだと言えばまあそうなんだろうけど、たしかに仕事がきちんとできていない自覚もあったし、スポーツと違って怒られながらもやらなきゃいけないとも思っていたし、でも自分が運動が極端に苦手だったから、体操教室で大泣きした経験があるからスポーツがなくなってもいいと思っているだけで、スポーツをしてお金をもらって生活している人にとっては怒られながらもスポーツをしなきゃいけないわけだし、ほかにお金をもらう手段さえあれば怒られながら続けなければいけないことなんてないという意味では、スポーツの要不要は関係なくて、怒られるのを我慢してまで続けなければいけないことは特にない、できることをできるように自由にやればいいんだ、四大出てるんだから、スポーツ以外ならどんな仕事だってなんとかやれるはずだ、会社を辞めるときにはそう強く自分に言い聞かせたものだった。はじめて耳にする専門用語をすらすらと話す人たちに囲まれて、後ろからは電話で英語を話す声が聞こえてくるなかでいま感じている気持ちは、体操教室のときの気持ちを覚えているように忘れられないのかもしれない。ハバナイスデイ、バーイ!