スポーツのない世界

大学を卒業してから14年か15年、正確には14年と何ヵ月ということになるんだろうけど、勤めてきた信用金庫を退職して、9月からあたらしい会社で働きはじめた。2000年、みたいなキリのいい数字は覚えやすいから大学に入学した年は覚えているけど、2018年というキリがよくない数字はきっとすぐに忘れてしまうだろう。

毎日外壁にひびが入りかけた古い二階建ての支店からスーパーカブに乗ったり軽自動車に乗ったりして営業に出かけていき、ノルマが達成できたとかできなかったとか、圧倒的にできなかったときのほうが多かった気がするけど、朝礼があったり終礼があったり夏の暑い日があったり冬の寒い日があったりしながら働いてきて、ここ数日はオフィスビルの27階、全面ガラス張りの空間で首から社員証をぶら下げてまわりの人たちが何をやっているのかまったくわからずに居心地悪く宙に浮かんでいるような日々を過ごしながら、14年か15年くらい前に自分が選ばなかった人生、というか生活が座布団のように積み重ねられた上に急にすとんと座らされてふらふらぐらぐらしているような感覚を味わっている。ぐらぐらしながら見下ろした街の中を、白い軽自動車が走って行くのがトミカよりも小さくみえる。

朝のニュース番組をつけると、スポーツ選手たちが受けたパワーハラスメントの話題が多くて、そういう話題をみながらそもそもスポーツって怒られてまでする必要はないから、スポーツをなくせばいいのにねと妻に話したけど、心の底からそう思っている。

子どもの頃、あまりにも運動が苦手な様子をみて心配した母親に、体操教室に連れていかれたことがあった。ただ遊んでいるだけだから、と聞かされてその場へ行き、実際に教室が始まる前の数分はおのおの自由に遊んでいるだけだったけど、突然音楽が流れて一か所に集合させられたときに、話が違う!と怖くなって泣き出してしまったことを覚えている。最近の職場での自分も、体操教室のときと同じように全身で不安を感じている。体操教室の先生の顔やまわりの景色は忘れても、そういう気持ちはいつまでも残るものだと、首から社員証をぶら下げながらあらためて考えた。

こんなに怖がりなのに転職をしたのは、上司から頻繁に辞表を書けと責められることが続いて嫌になってしまったのがきっかけで、それをパワーハラスメントだと言えばまあそうなんだろうけど、たしかに仕事がきちんとできていない自覚もあったし、スポーツと違って怒られながらもやらなきゃいけないとも思っていたし、でも自分が運動が極端に苦手だったから、体操教室で大泣きした経験があるからスポーツがなくなってもいいと思っているだけで、スポーツをしてお金をもらって生活している人にとっては怒られながらもスポーツをしなきゃいけないわけだし、ほかにお金をもらう手段さえあれば怒られながら続けなければいけないことなんてないという意味では、スポーツの要不要は関係なくて、怒られるのを我慢してまで続けなければいけないことは特にない、できることをできるように自由にやればいいんだ、四大出てるんだから、スポーツ以外ならどんな仕事だってなんとかやれるはずだ、会社を辞めるときにはそう強く自分に言い聞かせたものだった。はじめて耳にする専門用語をすらすらと話す人たちに囲まれて、後ろからは電話で英語を話す声が聞こえてくるなかでいま感じている気持ちは、体操教室のときの気持ちを覚えているように忘れられないのかもしれない。ハバナイスデイ、バーイ!