「ポリチンパン」8
夏が終わり秋がはじまろうとする頃の東尋坊には海からのすずしい風が吹いていた。弟は運転中ずっとレイバンのサングラスをかけていて、(こんなサングラスをかけたりするのだな)と思った。駐車場を出てすぐの商店で海鮮丼を食べ終えると、わたしと弟とは目的を果たそうと、観光客の多い広い崖を避け、小さめの崖を探した。遠くに遊覧船が浮かぶのをみながら、弟はリュックサックからビニール袋に入った骨壺を取り出した。壷を逆さにして、ビニール袋の中にまだ形の残った遺骨を入れると、ふたりで袋の上から骨を揉み砕き、粉々にした。ふたりで骨を揉み砕いていると、子どもの頃に鳥の唐揚げの下準備を手伝ったときのことが思い出された。
祖父と福井県に来たことはなかったけれど、葬儀状のディスプレイに映し出された祖父の姿をみて、東尋坊に行ってみたいと思った。葬儀の後で弟に電話をかけると、引っ越しとマンションの売却の手続きがもうすぐ終わるから、落ち着いたら一緒に東尋坊へ行かないかと彼は言った。わたしもそう思っていた、とは言わずに、そうしようと言って電話を切った。
人差し指に唾をつけて風向きを確かめていた弟が、こうやって風向きを確かめるひとの姿をみたことがある気がしてやってみたけれど、実際やってみると指が唾臭くなるだけでよくわからないと言いながらこちらを振り返ってきたので、弟の手からビニール袋を取ってその中に手を入れてつかむと、子どもの頃にした節分の豆まきを思い出しながら粉々になった骨をまいた。すると風向きは向かい風に変わり、まいた遺灰を頭から被ってしまった。わたしは髪の毛と顔が白くなって、弟はサングラスをしていたところ以外は白くなって、すこしむせながら手でぱたぱたと灰を払ったので、遺灰のほとんどは風に乗って海へと飛んでいくことはなく崖の地面に落ちた。ビニール袋を逆さまにして少し残った遺灰をふり落とすと、今度は海へと風が吹いて、散り散りに吹き飛ばされていった。ふたりとも海に骨をまくことに深いこだわりがあったわけではなかったけれど、頭から被って終わりというのはちょっとどうだろうという気はしたので、それで満足して崖を後にした。土産物店の店先に生ウニが並んでいるのを眺めて、ひとつ買ってみたら棘の中に上げ底が隠れていて、食べられるのはほんの一口だけだったことには不満をもらしつつ、縄文時代から日本人はウニを食べていたらしいよと話しながら駐車場へと戻った。
その後に起こったことは、説明しても誰も信用してくれないかもしれないし、自分でもやっぱりちょっとどうだろうとは思うけれど、たぶんほんとうのことだった。
せっかく福井県まで来たのだし、永平寺でもみて帰ろうかと言って、弟の車の古いナビゲーションシステムで「永平寺 駐車場」と検索して案内されたルートに従って走り出した。道路の両側に広がる田んぼの中を進み、ゴルフ場のそばを通りすぎ、北陸自動車道に乗って福井北で下りて山道に入ると、木々の間から薄いピンク色の建物が現れてきた。永平寺の手前最後の信号で停まると、そこから「イオンタウン永平寺」という文字とテナントとして入っている店舗の看板が並んでいるのがみえた。
いつの間にかこんなところにもイオンができていたのだねと話しながら警備員に案内されるままに立体駐車場を一階あがり満車の表示と警備員の案内にうながされてもう一階あがり、最終的に屋上まで上ってから車を停めて、まわりをみ渡すと山々と、もともとの永平寺の建物とこのイオンタウンとを結ぶ連絡通路があった。店内に入るとエスカレーターで一階まで降り、スターバックス・コーヒーでスターバックス・ラテを注文した。まだ払い落としきれていない灰が髪の毛に残っている気がして頭を叩きながらコーヒーを飲んでいると、出入り口付近のトイザらスがある辺りから悲鳴が聞こえ、買い物客がこちらに向かって走ってきて、目の前を通り過ぎて食料品売場の方へと消えていった。それに気づいた他の買い物客たちも、それぞれ無印良品やGAPの店内から飛び出してやはりこちらに走ってきた。立ち上がってみなが走ってくる方角に視線をやると、聖火ランナーのように炎をかかげた茶色い男たちがゆっくりとこちらに向かってくるのがみえた。全身の茶色は泥まみれになった土くれで、徐々に近づいてくると表面が乾いてひび割れてきているのがわかった。衣服を着ているかどうかも判別できないくらい汚れきっていて、乾いた泥の隙間からみえる目は真っ赤に充血していた。ひと目でこれは危険だ、逃げようという気を起こさせる風貌だったので、わたしたちもコーヒーを置いてそのまま逃げ出した。
エスカレーターを駆け上がって見下ろすと、泥まみれの男たちは店員も客もみな逃げ出して誰もいなくなった店内のテーブルに残されたコーヒーやケーキやサンドイッチをあっという間に貪り食うとすぐにまたこちらに向かってゆっくりと走ってきた。それは走っている人の姿をスローモーションで再生したかのような走り方で、身体の動きは確かに走っているのに速度は歩くのと同じくらいの速さだった。焦げ臭いにおいがして漂ってくる方角をみると、ユニクロとHMVから煙が上がり、そこからも泥男たちが湧いて出てきた。三階へと続くエスカレーターの周辺は既に泥男たちに包囲されていて簡単には近づけそうになかったし、一階と二階とをつなぐエスカレーターは上りも下りも泥男たちに塞がれていた。行き場を失ってフードコートの入り口の側にあった永平寺お土産コーナーに駆け込んで身を隠すところを探していると、坐禅のときに肩や背中を打つ「警覚策励」という棒が目についた。ビニールのパッケージの上部の、陳列フックにかけるための穴が開いた厚紙の部分には、坊主の写真があり、その口元から出た吹き出しには「喝」と描かれていた。弟と顔をみあわせ、店内のレジをみると既に店員は逃げ出した後だったので、棚のフックから警策を取り、パッケージを破ると強く握りしめてお土産コーナーから通路へと出た。背後のフードコートも既に泥男たちに占領されており、食べ物を咀嚼する音が大げさなくらいに響いてきた。わたしと同じように警策を握りしめた弟は、あいつらをおびきよせて引き留めておくから、その隙に屋上の車まで逃げてくれと言って車のキーを渡してきた。丸い感触がして手を広げてみると、キーには記念メダルのキーホルダーがつけられていて、メダルの中心にはモンキーパークのキャラクターが、その周辺には弟の名前がローマ字で、刻印されていた。
後から追いつくつもりだけれど、もしも危なくなったら先に脱出してほしい。そう言い残すと警策を振り回しながら三階へと続くエスカレーターの前を駆け抜けて、スポーツオーソリティの前まで行くと振り返り、通路の手すりをカンカンと打ち鳴らした。それに気をとられた泥男たちはぞろぞろと弟の方へと向かって走るような動作でゆっくりと動き出したけれど、今度はフードコートで食事を終えた連中が再び通路を塞ごうと移動してきた。わたしはエスカレーター目指して走り出し、ランニングで鍛えた足がものを言うぞと思いながら、泥まみれの男の間をひとりふたりとすり抜け、それでも行く手を阻もうとする相手には狙いを定めて飛び上がり、学生時代のテニスを思い出しながら脳天めがけてスマッシュの要領で警策を振りおろした。乾いた泥が砕けて飛び散って、直立不動の姿勢で動かなくなった男の横をさらにすり抜けてエスカレーターを駆け上がり、さらに何人かの男の脳天にスマッシュをくらわせながら屋上駐車場を目指した。
屋上に出ると、飛び立っていく2機と、いままさに飛び立とうとする1機のヘリコプターがあった。2機は高度を上げて遠ざかっていく。残された1機から黒人の操縦士が身を乗り出し、こちらに向かってなにか呼びかけてきたけれど、プロペラの音で何を言っているのか聞き取れなかった。振り返るとエレベーターのドアが開き、泥まみれの男たちが屋上駐車場へと押し寄せようとしていて、迷っている暇もなくわたしは差し出された操縦士の腕に手を伸ばすとそのまま機内へと引き込まれて、ヘリコプターは離陸した。見下ろすと、各階を連結する車専用のスロープを弟が駆けあがってくるのがみえて、もう一度降りて弟も助けてほしいと訴えようとしたけれど言葉が通じているのかいないのかただ操縦士は首を横に振った。どんどん小さくなっていく弟に向かって車のキーを投げることしかできなかった。落ちていく記念メダルが、くるくると回転して光っていた。
あっという間に永平寺は遠ざかり、山々の合間の一筋の道路とそのまわりに並んだ家々の屋根、四角く区切られた田畑、小さな屋根が集まった分譲住宅街、そしてまた山が続き、その向こうにはタイルを敷き詰めたように細かく田畑があって、爪の先みたいに小さな屋根が並ぶ中にところどころに建つ大きな商業施設から黒い煙がいくつも立ち上っていて、同じようなヘリが並んで飛んでいるときもあった。わたしが座席に座りベルトをしたことを確認すると、操縦士は何も言わず、計器類の中にあるボタンをひとつ押した。するとどういうわけかプロペラの音が聞こえなくなり、操縦席にある小さなスピーカーから、カルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が流れてきた。
1870年のミシシッピ州、川辺のカラフルな衣装を着た人々の中で、さらにカラフルで派手な衣装を着たボーイ・ジョージが歌い、やがて到着した船に乗り、船内ではトランプが始まる――ミュージック・ビデオを思い浮かべながら、ふと操縦士の股間に目がいった、まるで吸いよせられるかのように目が離せなくなって、そのままみつめていると、だんだん股間が盛り上がってきてズボンの生地が裂け、裂け目から発芽、と同時に育ちきった太い幹が現れ、先端が水風船のように膨らみはじめ、その膨らんだ先端が突然パッと花火のように開き、胞子状の物が飛び散って、その胞子がさらに細かい粒子になって鼻先まで届いて、息を吸い込むときに粉が鼻腔に入り込んで、鼻から目元にかけてじんわりと熱くなり、涙の膜が瞳を覆ったとき、わたしは瞬時に納得した、もうそういう時代なのか、と、いや、厳密にいうとそうではなくて、あらためて納得するまでもなく、子どもの頃から知っていたことを、こうなると予感していたことを、ただ思い出しただけだった。