「ポリチンパン」7


 供述によればその日人事部から呼び出されたのは十五名だった。呼び出された理由については明らかにされていなかったが、各自予想はついていた。接待で風俗店へ行く計画は実現しなかったし、背任行為を実際に行った者はひとりもいなかったが、呼び出された者は皆その予備群とみなされているということだった。不祥事件により多大な損害を被ることを防ぐため、兆候がみられる行員については徹底的に調べあげ、犯罪に手を染める前に退職に追い込む。それが人事部秘密警察課の役割だった。
 まずはすべての行員の給与振込口座の履歴を毎月チェックし、生活レベルにみあわない多額の入出金など、おかしな動きがないか調査を行う。この調査については秘密にされているわけではなく、行員はみな自分の口座がチェックされていることを知っている。そのため、やましいことがある者は他行に口座を作り、資金を移すことが多かった。しかしここから先については後からわかったことだが、人事部秘密警察課は、銀行間の秘密警察課ネットワークによって個人情報保護法に抵触する行為ではあるが、紳士協定により要注意行員の口座履歴を秘密裏に交換しあっていた。つまり、日本国内の銀行口座はすべて監視下におかれ、隠し場所も逃げ場もないのだった。口座履歴はすべて調べあげられ、跡をつけられてマジックミラーの店に入るところを写真に撮られ、さらには同じ待合室まで入り込み、どんな女を指名したかまで確認され、もしかしたらプレイルームでの女との会話や情けないあえぎ声まで盗聴されていたのかもしれないと思うと、いくら不祥事件防止のためとはいえ、どうしても納得がいかないと男は供述している。
 そのほか、ネズミ講の現場をおさえられた者もいれば、パチンコ店へ通った頻度と出玉数とを調べられた者もあり、とにかく心当たりはある状態で十五人の不祥事件予備群とみなされた者たちは待合室に集められていたのだという。待合室から人事部の役員たちが待つ別室へはひとりずつ個別に呼ばれることになっていたが、集められた十五人は視線を交わして通じあい、言葉もなく黙って全員が頷くと同時に立ち上がり、別室へと一斉になだれ込んだ。
 ドアが開くと役員たちは驚いた表情をみせたが、そのうちのひとりが「最後の最後まで迷惑なやつらだ、もういい、全員まとめていますぐ退職届けを」と喋りだしたが、すべてを言い終わる前に十五人のうちのひとりが「うるせぇ馬鹿野郎、ぶっ殺してやる!」と叫ぶと、室内に置かれていた折り畳み式長机を全員で蹴り倒し、横倒しになった机をそのまま持ち上げるとブルドーザーのように役員たちを壁際へと追いやった。勢いよく押しやられ、役員の中には壁との間に圧迫されて口から泡を吹いて失神する者もいたという。
 秘密警察課の部隊が駆けつけるよりも前に十五人は本部ビルを飛び出し、最寄りのジャパンレンタカーに入ると二台のハイエースを借りて全員が乗り込み、とにかく北を目指した。全員怒りと不満とが爆発して収まらず、車内で足を踏みならしたり腕を振り回したりし続けたため、車体を縦に激しく上下させながら二台のハイエース北陸自動車道をひた走った。高速を降りると山道に入り、山深くなってくると初めから返すつもりもなかったレンタカーを乗り捨てて歩いて山中へと踏み込んだ。途中の賤ヶ岳サービスエリアでお茶やジュースや水、お菓子や土産用のレトルト食品やインスタント食品などを大量に買い込んでいたため、食料については当面の心配はなかった。日が暮れるまでに寝床を探そうと、十五人は山の斜面を歩き回り、やがて小さな洞窟を発見した。
 議論をするまでもなく、十五人の目的はひとつだった。さっきまで自分たちが所属する勤務先だった銀行を捨て、自分たちだけのあたらしい金融システムを一から作り上げるのだ。
「我々は野生の銀行員だ」
 お互いの顔がはっきりみえない薄暗い洞窟の中で、誰かがそう声をあげた。すると、そうだ、野生の銀行員だ、野生の銀行員だと次々に声があがった。木々を拾い集めて洞窟の中心に積み、百円ライターで火をつけると炎を囲む男たちの顔はみな赤く上気したようだった。
 まずは貨幣からと、石とドングリとを硬貨に、落ち葉を紙幣とすると定めたが、葉は枯れてちぎれて粉々になってしまい耐久性に問題があるため紙幣そのものを流通させないことになった。

 その後に起こったことは、説明してもおそらく誰も信用しないだろう。そう男は供述している。確かにこの部分については信憑性に欠けるものと思われるが、男は以下のように語った。
 洞窟で寝泊まりするようになって数日後、サービスエリアで買い込んだ食料も徐々に減り、食料の確保に着手しなければと考えはじめた頃、洞窟の奥から蚊が大量発生した。全員が全身を蚊に刺されたが、不思議と痒みはなく、皮膚の表面が火照ったような感じだけが残った。その熱に浮かされるように、一人また一人と洞窟の奥へと進んでいった。やがて通路は立っていられない程に狭くなっていき、四つん這いでさらに進むと急に広い空間へと出た。一瞬洞窟の外に転がり出たかと思うほどそこは明るかった。目をこらすと、岩壁に貼りついた苔が発光しているのだった。
 ところで、野生の銀行員としての生活を初めてから困ったことのひとつに、山の中にはファッションヘルスソープランドもないということがあった。暗黙のルールで、ひとりずつ順番に洞窟の奥のヒカリゴケの空間に入り、そこで陰茎を無心にしごいて射精してもよい、というよりもそうするととても気持ちがいいので是非ともそうしよう、ということになった。蚊に刺されてからの身体の火照りと、光る苔から発せられる湿り気とが混ざりあう。洞窟の奥での行為は森の中の唯一の娯楽となり、十五人が交互に苔に向かって射精を続けた。
 するとどうだろう、ある晩寝静まっていると洞窟の奥からモゾモゾと動く物がある気配がした。それは緑色に光った人影だった。緑色に光る苔が人の形になっていた。蚊に刺されて何か変化が起こった人間の精子と苔とが交わってほんとうの野生の銀行員が誕生したのだと思った。おそらく他の十四人も同時に悟っていただろう。ほんとうの野生の銀行員たちは次々に誕生し、洞窟の中はあっという間にすし詰めの状態になり、外へとなだれ出た。夜空には星座早見表そのままの満天の星空があった。緑色に光る人型のものの、顔をみると目の部分には窪みしかなかったが、窪みの部分に視力が備わっているかのように空を見上げていて、口元をみれば涎が糸をひくように緑色の細い糸状のものを粘つかせながら上唇と下唇とをいまはじめて分離させ、かすかに開き、そこから呼気が出た気配がした。この生き物は、肺で呼吸をしているのだ。ほんとうの野生の銀行員は、人間と同じように食事をするのだろうか、もしそうだとしたら食料も居住スペースも不足することは火をみるより明らかだ。
 この山を出て、どこかを襲撃する計画を立てるまで、さほど時間はかからなかった。百円ライターの小さな火から育てた炎を分けあって松明を作り、野生の銀行員もほんとうの野生の銀行員も皆炎を高くかかげると、一斉に山の斜面を下りはじめた。