トウチャンは父になる

まだ夜の早いうちから娘を寝かしつけるために一緒に布団に入り、尿意でという訳でもないけれど目が覚めて覚めた以上はトイレに行こうかと起き出して、起き出したついでにリビングへと入り、薄いカーテンを開けると人差し指の第二関節までで隠れるくらいの大きさの駅の灯りがみえて、台所の電気だけつけてキーボードを打ち出した。


十月三日、その日にちを特別に記憶していた訳ではなく、いま携帯のメールをみたらその日に届いていた「今日離婚届けを提出してきました」という母親からのメールを受信したとき、特に何も思うことはなかった。わざわざ弟とふたりでそろそろ正式に離婚したほうがいいと説得しに行った後の出来事なので、当たり前といえば当たり前だった。そんな説得をしに行った理由というのもひどい話で、兄弟ふたりとも近い将来父親の面倒をみるつもりがなく、それは金銭的な面だけでなく、一切関わりたくないという考えからであって、どうしてそんな風に考えるかというと二人とも幼い頃から父親とほとんど関わってこなかったから今更関わる気にもなれないというのが理由といえば理由なのだけれど、そんな人物がいまだに母親と同じ戸籍に入ったままだと、ひとから(あなたの父親でしょう)と言われたときに都合が悪い、(いえ、父と母とは離婚していますので)という返答を用意しておきたいという、誰がそんなことを言いにくるのかと、考えるだけで薄気味の悪い、まったくひどい気持ちから説得したことなので、その結果母親からのメールを受け取って何か気持ちが動くことがあるはずがなかった。
メールを受けて母親に電話をすると、三十年以上向かい合って話すことがなかったはずの父親は、正式に離婚の話を切り出されると特に抵抗することはなく、すぐに家を出ていったという。出ていったあとの行き先は不明。それを聞いてますます父親にとって家族とはなんだったのか、これまで三十年以上なにを考えていたのか、わからなくなった。


十月二十三日、妻が二人目の子どもを出産した。4328グラムの男の子だった。
弟が生まれることについて、三歳の娘は自分はお姉ちゃんになって、トウチャンはお父さんになるんやろ?と言っていた。父ちゃんは既にお父さんだと娘に説明しながらも、息子の父親になるのは確かに初めてだとも思った。
戸籍上は父親がいながらも、父親がいないかのような育ち方をしてきて、ひととの関わりを断つことに対して抵抗がなくなってしまったというか、これまでの人生の中で、友人と呼べるひとたちとの関わりを何度も断ってきてしまったように思う。それでもこのひととだけはずっと関わりたいと思って妻と結婚して、そしてふたりの子どもが生まれた。
妻が入院する前に準備をしていて、1.5リットルの水のペットボトルを持っていくと言われて、まだ結婚する前、つき合っていた頃に(飲むと思って)と彼女が家から電車に乗って1.5リットルの水のペットボトルを持ってきたのをふと思い出した。その頃よくふたりで週末会ってシティホテルに一泊するときにお菓子や飲み物を買って持ち込んでいたのだけれど、わざわざ家から重たい水を抱えて出かけてくる頼もしさに笑ってしまった覚えがあって印象に残っていた。
週末会うと泊まりがけになってしまうのは、別れ際が苦手なせいで、会っていなければなんともないのに、会うとどうしても別れ際に立ち去りづらくなってしまう。ひととの関わりを断つことに抵抗がないと言いながらも別れ際が苦手なことは矛盾するようでいて矛盾していないというか、別れ際が苦手すぎて関係を断ちたいとか、ほんとうはひととの関係を強く求めているとか、そう考えると非常につまらないことだと思うけれど実際つまらないことだから仕方がない。
出産後、妻が入院している病院に娘とお見舞いに行き、娘を連れて家に帰る間際になると娘が大声で泣き出すのをみて、なだめながらも自分も同じかそれ以上に別れ際が苦手なのだと思っており、夜眠る前に(母ちゃんに会いたい)と泣きながら自分にぴったり寄り添って眠りに落ちていく娘の横で自分も少し泣いていた。娘が情緒不安定になっている姿をみていると、自分も全く同じかそれ以上に情緒不安定だったことが思い出されるし、三十歳を過ぎたいまもほんとうは情緒不安定だけれどそれなりに我慢する方法を覚えただけで、なにも変わっていないようにも思える。そんな子どもが自ら父親との関係を断ち、やがて母親に離婚するように持ちかけるようになるまでに何が起こっていたのか考えようとすると、重大な出来事に対する記憶がすっぽりと抜け落ちている訳ではなく、ほんとうに些細なことの積み重ねでここまできてしまったのではないかと思えてきておそろしい。ただ、ひとつ確信していることは、「血がつながっている」ということは家族にとってその関係を保証するものでは全くないということで、それは実感としてある。
だから、娘とも、息子とも、気を抜いたらなにかの拍子に関係が途切れてしまって二度と会えなくなってしまうかもしれないという危機感を常に持っていないと、家族なんて簡単に散り散りになってしまうものだと思う。生まれてきた息子の写真を撮ることはもちろんだけれど、いまのこの気持ちを残しておきたくてこれを書いた。


朝八時半過ぎに入院し、午後一時前に息子は生まれた。分娩室の、ちょうど分娩台に乗って赤ちゃんが出てくる股間からみて正面の壁に美しい紅葉と日本のどこかの城が映った美しい写真のカレンダーがかけられていて、一体だれが分娩室でカレンダーの日にちや曜日を確認するんだと疑問に思ったけれど、あれはなんだったのだろう。わざわざその城カレンダーをみて生まれた日付を記録するのだろうか。そのこともきっと時間が経てば忘れてしまいそうなので、ここに書いておく。妻が必死で陣痛に耐えていた姿は、忘れないので書かない。