「そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」。先輩たちのこんな会話にその味を想像するばかりだった年季奉公の少年がある紳士の偶然の計らいで鮪の握り鮨にありつく。「神様かもしれない」と美味に触れた心がささやく。

今朝の日経新聞の、円相場の左横の細長いスペースに書かれている小話のような「春秋」というコーナーで、クロマグロの漁獲枠について、大西洋まぐろ類保存国際委員会が地中海と大西洋で全体の二割をこの四年間で削減することに合意したという話題とからめて、志賀直哉の『小僧の神様』のあらすじを紹介していた。これを読んで小僧の神様が鮪だったということを初めて知った。「神様かもしれない」と美味に触れた心がささやく……なんだかバカドリルみたいな感じ……
小僧にとっての神様は、鮪だったんだね、みんなにとっての神様はなんだろう、さあノートに書き出してみよう!と体毛が異常に濃く、入浴後に鏡の前に立つとフェニックスの姿が胸元に現れる国語教師が呼びかけても、生徒たちはおいしそうな鮪のことしか思い浮かべることができず、教師が机の間を巡りながらノートを確認してもみんな鮪と書いていたので、しょうがないなあ、じゃあこれからお寿司屋さんへ行ってみんなで鮪を食べよう!ということになり、寿司屋へ押しかけるが店内に生徒が入りきらず、みんな手のひらの上に握りたての鮪の寿司をのせてもらって河川敷まで歩き、芝生の上に酢飯をぼろぼろこぼしながら鮪をほおばって「やっぱり神様だ」とほほ笑む。理想的な国語教育。