今週の水曜日、レバ刺しを食べに行った日、「Jバンクのほうが金利が高いから」という理由で担当地区から3,000万の定期が解約されて出ていった。個人預金を集めなければいけないこの時期に3,000万の流出は厳しすぎると思っていたら、今朝コンクリート会社の社長の奥さんが来店して、資材置き場として使っていた土地を売ったお金を小切手で入金していってくれたのでとてもうれしかった。この奥さんの自宅の玄関先の下駄箱の上には、鍵の束、花瓶にささった造花、完成したジグソーパズル、ゴムの縄跳びが置いてあったのを覚えている。どこの家の玄関先にも、なぜこんなものがここに置いてあるのかと疑問に思うような奇抜なものが飾られていたり、放置されていたりする。その家の住人は毎日その玄関をみているので何も感じないけれど、たまに訪問する者はそういうわけにはいかない。その家に住む夫婦がインディアンの仮装をした写真が堂々と飾られている玄関もあれば、毬藻が入った瓶がずっと放置されている玄関もある。今日訪問した家の玄関の壁にはこんな立体的な飾りがかけてあって、その不気味さに思わず声をあげそうになった。

集金先のお客さんとはいつも玄関先で会うだけなので、頭の中でお客さんの顔を思い出そうとすると、そのお客さんの家の玄関先もセットで思い浮かんでくる。思い浮かんでくるその様子は、まるでお客さんひとりひとりが、玄関という狭い空間に囚われているかのようにみえる。頭の中で何人かのお客さんを一度に思い浮かべようとすると、ガチャガチャのカプセルに入ったポケット・モンスターのような格好になる。
ごくまれに、自転車のかごに買い物袋を入れて颯爽と駆けていく年金受給者のお客さんを見かけると、窮屈な玄関から解き放たれて自由になった喜びに満ちているようにみえることがある。もしも、市民文化会館にコンサートかなにかをみるためにお客さんたちが自転車に乗っていっせいに走りだす様子を目撃することがあれば、デコレーション・トラックよりも個性的に飾り立てられた無数の玄関が頭の中で轟音をたてて崩れだし、瓦礫の向こうから砂煙を上げて年金受給者たちが東へ西へ北へ南へと思い思いの方角へと生きる喜びを全身で表現しながら、歴史を更新していくその姿はまるで……