『それでもボクはやってない』(周防正行監督)

映画の冒頭からずっと加瀬亮演じる主人公の青年に同一化させられて留置所や取調べ等でつらい思いをして疲れた。加瀬亮のアップが多くてもう加瀬亮しかみつめることができない。やってないのに有罪になるなんて間違ってる!日本の裁判制度はおかしい!裁判員制度がはじまるけれどみんな気をつけて!ということを映画が始まってから終わるまでずっと思わされるのは、取調べでお前がやったんだろうと責められ続けるのと同じくらい嫌なことだと思う。映画から受け取らされるメッセージがたとえ間違ったものではなく正しいものだとしても、他の意見を持つ余地もないくらいに押しつけられるのは気分が悪い。
主人公が若くハンサムで清潔感のある男性だから、青年はやってないに違いないと思って同一化できるけれど、これがたとえば武田鉄也主演だったら……やってないとか言っているけれど、ほんとうはやったんじゃねえの?スケベそうな顔して!途中で留置所から出してもらえたのに帰宅した途端ハンガーを握りしめて痴漢だと言った被害者に復讐しに行って捕まるとか、まるちゃんのCMみたいに弁護士も検事も裁判官も全部武田鉄也が演じるとか、そういう映画だったなら観客も様々なことを考えることができるのではないだろうか!あと、ガリレオ・ガリレイがこの映画をみたらなんと言うだろうか!