悲しいことがあって卒業アルバムを後ろからひらくと、在学当時に起きたニュースが掲載されており、その中に毒入りギョーザ事件も載っているであろう今年卒業予定の女学生たちは、バレンタインデーに愛の告白をしたのだろうか……できることなら女学生に変身し、好きな男子のことをおもって胸をときめかせて毎日を過ごしたいが、変身の仕方がわからないので今日も嫌々出勤した。サラリーマンも三年か四年で卒業できるといいのだが、そんな制度はない。アルバムも作られないので、その代わりにこの冬に起きた餃子にまつわる出来事をここに記しておく。
集金先のひとつに、いさむちゃんラーメンという飲食店があった。いさむちゃんという名は仮名なのでいつか悲しいことがあってこの日記を読む際にも、頭の中で本当の名に変換しながら読むことを忘れないでほしい。いさむちゃんラーメンは、主人のいさむちゃんと、苗字は異なるがどうみても生活を共にしているような女性――これが「内縁の妻」か、初めてみた、と思ったことを覚えているだろうか――の二人で営まれていた。夜の営業が始まる直前の夕方四時過ぎに集金に行くことになっていた。四時過ぎに訪問すると、薄暗い店内で餃子の具を皮で包んでいたり、麺のゆで具合を確かめるのを兼ねて早めの食事をとっていたりした。ひとつひとつ餃子を手作りしているのをみて、一度食べてみたいと思った。
集金を済ませて支店に戻り、仕事帰りにいさむちゃんラーメンを訪れてみた。毎月訪問するのに集金だけで一度もラーメンを食べないのは悪いような気がしたし、ふらっと顔を出せばいさむちゃんに気に入られて今後いろいろ頼みやすいこともでてくるかもしれないと考えて訪れた。ドアを開けると、準備中の夕方と同じくらい店内は薄暗かった。二組の親子連れが食事をしており、どちらも堅気のひととはすこし違った雰囲気だった。いさむちゃんもいまでは気さくなラーメン店店主だが過去は違ったかもしれないと思えた。カウンターに座り、内縁の妻にとんこつラーメンと餃子を頼んだ。あの手作り餃子をぜひ食べてみるべきだと思い頼んだ。いさむちゃんはまるで、何かから足を洗う儀式であるかのように丁寧に麺の湯切りをした。
いさむちゃんは「花咲かじいさんの話、最初から最後まで全部言えますか?」「意外と思い出せないでしょう」「このまえお客さんと昔話の話題で盛り上がったんですよ」「ここに来るといろいろ勉強になって楽しいですよ」と語っていた。薄暗い照明のせいですべてさみしい話のように聞こえた。ラーメンは普通の味だったが、餃子が臭くてまずかったが残さず食べた。もうこの店を訪れるのはいやだと思った。しかし一度顔を出してその後二度と訪れなければ、うちのラーメンが気に入らなかったに違いないと思われても仕方ない。こんなことなら一度も食事をしなければよかった。せめてもう一度くらい顔を出してみるべきかもしれないが、あのとき「しめ飾りはいつから飾るか知っていますか?」という話題も出ていたので2007年12月の終わりだったはずだ。2008年2月になってもまだ一度もいさむちゃんラーメンで食事をしていない。もう手遅れかもしれない。手元にあるアルバムを後ろからひらくと、1999年流行語「ブッチホン」とある。