当然と言えば当然だが、アントニークレオパトラだけが古代エジプトカップルではない。近年、ナイル川のほとりにワンルームの小ピラミッドが発見され、世界最古の同棲カップルのものであることが明らかになった。「同棲」という概念が古代エジプトにあったのかどうかは、もちろんわからない。21世紀に生きる人の考え方と紀元前に生きた人の考え方が同じものであるはずはなく、それは犬には犬の思考があるにもかかわらず人間と同じ感情を持っているかのように捉えてしまうのと同様につまらない。
小ピラミッドの間取りは2DKであり、食事をとる部屋と寝る部屋とを分けて生活していたのではないかと研究家は語る。この研究家は親日家で、日本に向けて「エジプトに来るときは、必ずわたしに連絡してください。わたしが案内して最高の思い出を作るお手伝いをしますよ」というメッセージを発表したこともある。しかしながら、実際に彼に連絡を取ろうと思っても連絡先が発表されていないため難しい。はたして彼の手伝い抜きで最高のエジプト旅行の思い出を作ることができるのかどうかと心配になる人も多いだろう。
2DKのピラミッドで暮らしていたふたりは、特別な棺に入れられることもなく、自然にミイラとなっていた。男性のミイラの頭部には激しく燃焼したとみられる痕跡があり、壁に刻まれた壁画とまでは言い難い、溝の浅い削り跡から推測すると、男性は『ピラミッドの石を運ぶ作業中に音楽が聴こえてきてふいに覚醒し、頭が燃えだした』といった内容を伝えようとしたものと思われる。それはフランソワ・ブシャール大尉が発見したロゼッタ・ストーンにも刻まれていない、荒々しい文字だったという。


インディアナ州ゲーリーアフリカ系アメリカ人街に、10人兄弟姉妹の8番目として生まれたと言われているマイケルがほんとうにジャクソン家の子どもであるかどうかは定かではない。小ピラミッドの壁には、彼の登場を予言するかのように、ムーンウォークする人物が刻まれていたと親日家の研究家は主張している。彼が主張をやめない根拠は壁画にあるだけでない。マイケルがペプシコーラのCMでライブバージョンを撮影中、頭から発火したという事件がミイラの男性の頭部に起きた現象と一致することを見過ごすわけにはいかないと彼は力み続けている。彼の死後、この主張は忘れ去られてしまうのだろうか。ミイラの男性が耳にしたと言われている(叩きつけるようなビートと地獄の底からせりあがってくるかのようなベース)という音楽と「ビリー・ジーン」が一致する点も注目に値するらしい。


宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが東インド管区の東端に位置する日本で織田信長と謁見した際に連れられていた黒人の青年、のちにヤスケと名づけられた彼がマイケル・ジャクソンだったというのはあまり知られていないがおおよそ事実であると親日家の研究家は言う。研究家は日本では愛知県名古屋市に滞在していたため、信長ゆかりの清州城を訪れたのをきっかけに本能寺の変が、マイケルによって覚醒させられた信長の頭部からの発火によるものだという説を唱えることになった。名古屋在住のローカルタレント宮地佑紀生の著書「宮地佑紀生の天国と地獄」には、来日中の研究家と面談した際に寿がきやの即席麺を手渡して大変喜ばれたといった記述があるが、本能寺の変・信長覚醒説については触れられていない。


1、2、3を踏まえて考えると、信長ゆかりの清州城のそば、ナイル川に似た川のほとりの2DKで鯖と暮らし始めたことは、歴史がそうさせたとしか思えない。住み始めて2カ月が過ぎようとしている今、しあわせに暮らしていることをここに記しておき、忘れないようにしたい。
いつか未来の研究家たちが荒涼とした土地の片隅で、墜落した宇宙船を発見し、そこに残されたコンピュータからこの日記に接続する。モニタに映し出されたはじめてみる言語を解読した研究家たちは、過去にこの土地でしあわせに暮らしたふたりのミイラを発見することになるだろう。そしてその時神々たちのための音楽を再現するために作られたとしか思えない楽器の音色で叩きつけるようなビートと地獄の底からせりあがってくるようなベースラインが奏でられ、研究家たちのこめかみを熱くしはじめる。それが祝福の合図だということは、言語や時代ごとの思考方法を超えて直感的に理解された。