ユッケショック後の、焼き肉店店主へのインタビュー
3月11日以降、震災の影響を受けた企業に対する融資枠が県知事の指示により唐突に創設され――新聞の朝刊の地域欄に突然その概要が発表されてはじめてその制度のことを知った――間接的な影響でも融資が可能とのことだったので、その焼き肉店へも(世間の自粛ムードの影響による売り上げの減少)という理由で融資を利用してはどうかと提案をし、「借りておこうかな、どうしようかな、検討します」と迷っていたところへ、ユッケの食中毒事件が起き、その影響もあったようで、あらたに借入をするよりも、現状の返済額を減らしてほしいと店主から融資条件変更の申し出を受けるに至った。
一度融資の条件変更をしてしまうと、建前上どうかは別として、返済能力に問題ありとみなされ、今後新規の融資による資金調達が難しくなってしまうという現実があるため、もう少し現状のままの金額で返済を続けてみましょうということで話は終わった。
売り上げを伸ばすための工夫はいろいろしているんですがね、と店主は語った。
たとえばお客さまに住所と氏名を記入してもらうと、会員証を発行して、ドリンク代はサービスするとか、その情報を利用してダイレクトメールを発送するとか、誕生月にはサービスメニューを用意するとか……あと、持ち帰り用のキムチを用意して少しでも客単価を上げるようにがんばってはいるんですけれどね。
ところで、ユッケの問題ですがと話をふると、もともと調理方法に問題はないけれど、現在は自粛をしている。なかには安全性をアピールして自粛せずに提供を続けている焼き肉店もあるが、安全なのは当たり前のことであって、この状況であえて自粛しない店舗があるせいで自分の店がまるで安全性に不安があるから自粛しているかのように誤解を受けるのは納得がいかないとのことであった。
焼き肉店に行く理由のひとつに、家庭では食べることができない生のお肉を食べたい、ということがあるのに、残念ですねと言うと、店主も、こちらとしても是非ともおいしい新鮮なお肉を生で提供してお客さまに喜んでもらいたいという気持ちがあるのに残念ですと嘆いたあとで、ここだけの話、常連さんには、もちろん人を選んで、ですけれど、ユッケを出していますがね・・・・・・と囁いた。
人を選んでユッケを出すというのは、どういうことだろうか。そのお客さんがどの程度の常連さんか、常連さんの機嫌を損ねて他の焼き肉店へと流れてしまっては困る、ということももちろん問題だけれど、一番のポイントは、(もしもこのユッケで万が一のことが起きたとしても、訴えてこなさそうなひと)かどうかという点ではないだろうか。ということは、いちげんさんでも(訴えなさそうなひと)であることをアピールできれば、焼き肉店でユッケを食べることができるということになる。
では、(訴えなさそうなひと)とはどのようなひとか。
まずは人相、一番最初に目に入るのは顔である。何も考えていないときにも怒っているような顔をしているひとはまず無理だろう。穏やかな気持ちでいるときでさえも、普段よく怒っているために眉間に深い皺が刻まれていて不気味な笑顔になってしまっているようなひとは、焦げそうなくらい真っ黒に焼いた肉しか食べさせてもらえそうにない。ここはやはり、眉毛は八の字、困ったような情けない、常に申し訳なさそうな顔をしていく必要がある。目も、申し訳なさそうな涙目。充血しているといかにも怒って訴えてきそうなのでそうならないためにも目薬をさしてから出かけたい。つり目だときつい印象なので、そういう場合はセロテープで目じりを下げる。次に鼻、立派な鼻をしているひと、たとえば鷲鼻のひとはいかにも意志が強そうにみえるので要注意。ユッケを食べるためだけに整形するわけにはいかないので、立派な人は鼻の骨を折っていますという風に大きなガーゼをあてていくしかない。鼻の骨を折ってまでユッケを食べたいというくらいだから、きっと食中毒になっても本望だと思ってくれそう、と思わせたい。また、小鼻のかわいらしい、あまり主張しない鼻だと、ユッケだけでなくレバ刺しもお好きでしょうとすすめてもらえそうだ。口元についても注意が必要で、口角をあげてにこやかに入店しなければならない。ほうれい線があると、なおよい。
服装にも気をつけたい。ドクロのモチーフがプリントされたものは厳禁、(地獄)だとか、(神なんて信じない)、(性交)といったようなことが英語で書かれたTシャツも避けるべきで、ユッケは紳士の食物です、という気持ちを態度で示すために襟つきのシャツにスラックスが妥当である。淡いピンク色のカーディガンを羽織るとより訴えなさそうだと思われる。アーガイル柄はユッケを盛りつけるための皿を表しているという説もあるため、効果的。
それよりも、単純に店主の好みのタイプのお客さんならどんなメニューでも簡単に出してもらえるということもまた、あるだろう。
ある日父親と母親とともに来店した若く美しい女性に、店主は心を奪われた。まるで過去の自分と未来の自分からの羨望のまなざしを身体に受け、あたりが輝いてみえるようだった。いらっしゃいませ、と言おうとして、目があった瞬間、何も言えなくなってしまった。アルバイトの女の子に、会員証の勧誘をするよう指示をして、自分は厨房から彼女をみつめることしかできない。このとき店主は、ユッケだろうが、刺身だろうが、頼まれればすぐに出そうと既に心を決めている。彼女の年はいくつだろうか。妻も子どももいる、子どもはもうすぐ中学校に進学する、そんな自分と彼女とは十歳以上は離れているようにみえた。こんな娘の父親になれたら、そんな風には考えられなかった。彼女といまこうして出会うまでの十年は存在しなかったのだとしか考えられなかった。ユッケを注文する彼女に、いま自粛していますと答えようとするアルバイトを制止し、あなただけに、ご用意しますとかすれた声で答えた店主は、放心状態で皿を運んだ。どのように調理したのか、まったく記憶になかった。
食事を終え、店をでるとき彼女は「オブリガード」と挨拶した。ブラジル人だろうか、それともブラジル人と日本人とのハーフだろうか、どちらにしても、彼女が帰ってしまう、まるで地球の裏側まで去ってしまうように寂しい、店主はそう思った。数日後、ユッケが原因かどうかはわからないが、彼女が体調を崩したという知らせを受けた。店主は(販売促進以外の目的では使用しません)とうたった個人情報を利用して、彼女がひとりで暮らす家を訪れた。看病を口実に、店主はそこに居着いてしまい、その後どうしたかというと、彼女とともに客船に乗りブラジルへと渡ってしまった。いまでは、遠く離れた故郷を懐かしみながら、集落の仲間と楽器を演奏し、サンバを踊るのを楽しみに暮らしているという。