あたらしいキャラクターのプレゼンテーション「ほうれい犬」

2011年5月、サンリオが立命館大学との産学連携であたらしいキャラクターのキャンペーンを開始したと報じられました。
キャラクターが販売促進に与える影響は、どの程度のものでしょうか。人のこころを掴むキャラクターはまるで優秀なセールスマンのよう。並のセールスマンより仕事がとれる?!なんて煽り文句が飛び出すほど、マーケティングとの同時戦略によってキャラクターが力を発揮し、売り上げの増加が期待できます。しかしながら、市況低迷による利幅の縮小を思えば、費用対効果を考えなるべくコストを抑えたプロモーションにより最大の利益を生み出したいところです。そこで今回、まだ現在は無名ですが、未来の一流キャラクター、「ほうれい犬」についてご紹介します。
               


通信事業社のコマーシャルに登場する白い犬のキャラクターにはもうそろそろ飽きてきた、という声があがるなか、彼、ほうれいは押しつけがましいところがなく、どなたにも受け入れられやすい性格を持っており、白い犬をうわまわる人気を獲得する可能性を秘めています。
また、完全にオリジナルな存在であるため、(のまねこ)のような訴訟リスクは一切ありません。
押しつけがましくない、受け入れられやすいとはいえ、いわゆる(ゆるキャラ)とは一線を画します。みた目こそ、(ご当地ゆるキャラ大集合)といったようなポスターに登場しても不思議ではない顔つきですが、中学卒業後、アルバイトで生計を立てながら大検を受け、公立大学に入学した経歴を持つ努力家です。
発酵食品やお菓子など、商品のイメージキャラクターとしての活動はもちろん、ほうれい自身の魅力を活かしてグッズ展開をすることも可能です。うちわ、下敷き、カンペンケース、ピアニカを入れる袋、デコレーショントラックの装飾など、ご要望に応じてそれぞれのグッズに適した顔つきができます。
先ほど例にあげた通信事業社だけでなく、自動車メーカーなどの企業のセールスプロモーションはもちろん、町おこし、村おこしのお手伝いもいたします。実際の出身地は静岡県であり、好きな食べ物はうなぎの骨せんべいですが、ご要望のあった自治体の名産にあわせて出身、好物は偽ります。趣味は五百円玉貯金で、たとえばあなたの身近なところに何かを頼まれるたびに茶目っけのある表情で「はい、○○円」と手のひらを差し出してくる人物はいないでしょうか。ほうれいはそのような調子で、本気で金銭を要求します。金額は必ず五百円です。五十万円貯まる貯金箱がいっぱいになったら投資信託を買ってさらに資産運用するのが目標だそうです。
大学入学と同時に静岡県から愛知県へと移り住み、大学卒業後も静岡県へは戻らず、しばらくは公園で幼児と仲良くなってはそのまま自宅までついていき、あがりこんでそのまましばらくその家の世話になるという暮らしを続けていました。はじめてほうれいと出会ったのも、やはり公園でした。仕事中にすこし木陰で休憩しようと公園の脇に営業車をとめて、缶コーヒーを飲もうとしたとき、ベンチに腰かけていたほうれいと目があいました。視線をそらしてからもう一度ベンチのほうをみると、ほうれいは少しこちらに近づいていました。気のせいかと思い、手帳を開いてそのあとのスケジュールを確認し、もう一度ベンチのほうをみると今度は確実にほうれいが近づいてきていて、仕方がないので窓を開け、助手席に置いてあった菓子パンを差し出しました。それがきっかけで営業車に乗り込んできたほうれいはそのまま家までついてきて、あがりこんで共同生活がはじまりました。その頃はまだ独身の一人暮らしだったので、家族に気兼ねすることもなく、昼間の間ほうれいは自由に冷蔵庫の中のものを食べたりお風呂にはいったりしていたのだろうと思います。夜にはふたりでレンタルビデオをみたり、オセロをしたり発泡酒を飲んだり、楽しく過ごしていました。あるとき帰宅すると、テーブルの上に小さな紙切れが置いてありました。それは新聞の切り抜きで、記事が中途半端なところで切りぬかれていたので不思議に思い裏返すと、タレント養成所の新人募集広告でした。ほうれいは、ふたりで挑戦してみようと誘ってきましたが、生活をしていくためには仕事を辞めるわけにもいかず、そもそも人前に出るのは嫌いなほうでそれまでに一度もタレントになりたいなどとは考えたこともなかったので、即座に断ってしまいました。その場では残念そうなそぶりをみせなかったほうれいでしたが、それから数日後には家を出ていってしまいました。だからこうしてあたらしいキャラクターとして彼を推薦しながらも、実際のところは彼がいまどこでなにをしているのかわかりません。もしかしたら既に、あたらしい名前で、出身地を偽り、どこかの町のキャラクターとして生計を立てているのかもしれません。もしもそうなら、いつかテレビコマーシャルで彼の姿をみかける日がくることを願いたい、なんて、そんな気持ちにはなれなくて、結婚して家庭を持ったいまでもときどき、ふたりで過ごした日々を思い出してもう一度あんなふうに暮らせたらと思うことのほうが、多いかもしれません。