『叫』(黒沢清監督)

黒沢監督の映画はだんだん、画面のここをみて下さいというのがはっきりしてきているような気がした。『LOFT』と『叫』をみてそう感じた。それまでの映画だったらひきの画で撮りそうなところも、かなりよりになっているように思えたから。洋服が赤いのもそう感じた理由のうちのひとつかもしれない。
ここをみて下さいというのがはっきりしてきた一方で、説明的な(思わせぶりな)シーンがなくなってきているのではないか。『CURE』や『カリスマ』や『回路』のあたりには謎めかせるようなシーンがいろいろ入れられていたような気がするけれど、『LOFT』や『叫』にはあまりそういうシーンがないので謎めかない(ボタンが落ちてるのをみつけたすぐ後で自分のクローゼットからボタンがはずれたジャケットが出てきたりして、謎めく前に答えを提示してしまうところは、比喩を用いるのを徹底的に拒否して書かれた小説みたいですごくクール)。でも、映画の中で起こる出来事がなぜ起きたのかははっきりわからない。けれど、何が起きているのかははっきりとみえる。『回路』のときには施されていた幽霊に対する処理が、『叫』に至ってはほとんど生の葉月里緒奈だったのをみてそう思った。カメラの前で実際にそれが起きたというところが一番の魅力だろうということも、『黒沢清の映画術』を読んだから思った。黒沢監督の映画はどんどんかっこよくなってきている。ファンだからそう思う。いいぞいいぞ!