『UMA−SHIKA』第2号に参加しました

『UMA−SHIKA』に関連するホームページなどで「id:healthy-boyが参加」と書かれているのをみて、(このid:healthy-boyっていう人…当たり前のように参加しているけれど、一体何者なの?もしかして私が知らないだけで、誰でも知っている有名人なの??)と不安になってしまった方、安心してください、id:healthy-boyはまったく無名のただの会社員です。これまでに小説もなにも発表してきたことはありませんし、特別な経歴もありません。知らなくて当然です。
それでやっと安心できたとしても、(そんな目立たない人がなぜ目次の先頭に来ているのか、謎だわ)と思われるかもしれません。これは単に編集長のid:Geheimagentさんのところに原稿が届いた順に並んでいるせいだと思います。こんなに知名度の低い者が編集長に迷惑をかけることがあってはならないという気持ちから急いで書いたのです。それなのに先頭に来てしまうなんて、例えるなら、控え目な気持ちで一番最後にエレベーターに乗り込んだのに、ドアが開いたら先頭に立って飛び出さなければならなくなってしまったような状況です。そんな謙虚な姿勢で参加させていただきましたが、参加するからには、初めてid:healthy-boyのことを知った方にも、(誰だか知らないけれど、おもしろい小説を書く人だわね)と思っていただけるようにと努力しました。
もちろん、これまでこの『リオ・デ・ジャネイロの祭り』をずっと愛読してくださっている親愛なるあなたなら、喜んでいただけるに違いありません。小説を書いていると、いったいなにがおもしろいのかわからなくなってくることがありますが、判断がぶれないように自分がおもしろいと思えるかどうかを考えながら書いたので大丈夫です。きっとid:healthy-boyとあなたは通じ合っているはずなのですから!「あなたがいたから、ぼくがいた」、郷ひろみの歌をひくまでもなく、そういうことです。


((C)id:yoneyacco

UMA-SHIKA』第2号の目次

《小説》ナイルの賜物(id:healthy-boy

《小説》書物と城(id:Geheimagent

《小説》ヨアンナと教授(id:ayakomiyamoto

《小説》とりあえず墓をあばけよ(id:yoghurt

《小説》絹子 あるいは美徳の些細な不幸(id:anutpanna

《小説》ブレインデッドid:Delete_All

《小説》面会(id:nishiogikucho

《小説》トーク・ショウ・ホスト(id:Dirk_Diggler

「第九回文学フリマ | 小説・評論・詩歌 etc.の同人/商業作品展示即売イベント

開催日 2009年12月 6日(日)

時間 開場11:00〜終了16:00(予定)

会場 大田区産業プラザPiO →http://bunfree.net/?%C3%CF%BF%DE

京浜急行本線 京急蒲田駅 徒歩 3分、JR京浜東北線 蒲田駅 徒歩13分)


当然と言えば当然だが、アントニークレオパトラだけが古代エジプトカップルではない。近年、ナイル川のほとりにワンルームの小ピラミッドが発見され、世界最古の同棲カップルのものであることが明らかになった。「同棲」という概念が古代エジプトにあったのかどうかは、もちろんわからない。21世紀に生きる人の考え方と紀元前に生きた人の考え方が同じものであるはずはなく、それは犬には犬の思考があるにもかかわらず人間と同じ感情を持っているかのように捉えてしまうのと同様につまらない。
小ピラミッドの間取りは2DKであり、食事をとる部屋と寝る部屋とを分けて生活していたのではないかと研究家は語る。この研究家は親日家で、日本に向けて「エジプトに来るときは、必ずわたしに連絡してください。わたしが案内して最高の思い出を作るお手伝いをしますよ」というメッセージを発表したこともある。しかしながら、実際に彼に連絡を取ろうと思っても連絡先が発表されていないため難しい。はたして彼の手伝い抜きで最高のエジプト旅行の思い出を作ることができるのかどうかと心配になる人も多いだろう。
2DKのピラミッドで暮らしていたふたりは、特別な棺に入れられることもなく、自然にミイラとなっていた。男性のミイラの頭部には激しく燃焼したとみられる痕跡があり、壁に刻まれた壁画とまでは言い難い、溝の浅い削り跡から推測すると、男性は『ピラミッドの石を運ぶ作業中に音楽が聴こえてきてふいに覚醒し、頭が燃えだした』といった内容を伝えようとしたものと思われる。それはフランソワ・ブシャール大尉が発見したロゼッタ・ストーンにも刻まれていない、荒々しい文字だったという。


インディアナ州ゲーリーアフリカ系アメリカ人街に、10人兄弟姉妹の8番目として生まれたと言われているマイケルがほんとうにジャクソン家の子どもであるかどうかは定かではない。小ピラミッドの壁には、彼の登場を予言するかのように、ムーンウォークする人物が刻まれていたと親日家の研究家は主張している。彼が主張をやめない根拠は壁画にあるだけでない。マイケルがペプシコーラのCMでライブバージョンを撮影中、頭から発火したという事件がミイラの男性の頭部に起きた現象と一致することを見過ごすわけにはいかないと彼は力み続けている。彼の死後、この主張は忘れ去られてしまうのだろうか。ミイラの男性が耳にしたと言われている(叩きつけるようなビートと地獄の底からせりあがってくるかのようなベース)という音楽と「ビリー・ジーン」が一致する点も注目に値するらしい。


宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが東インド管区の東端に位置する日本で織田信長と謁見した際に連れられていた黒人の青年、のちにヤスケと名づけられた彼がマイケル・ジャクソンだったというのはあまり知られていないがおおよそ事実であると親日家の研究家は言う。研究家は日本では愛知県名古屋市に滞在していたため、信長ゆかりの清州城を訪れたのをきっかけに本能寺の変が、マイケルによって覚醒させられた信長の頭部からの発火によるものだという説を唱えることになった。名古屋在住のローカルタレント宮地佑紀生の著書「宮地佑紀生の天国と地獄」には、来日中の研究家と面談した際に寿がきやの即席麺を手渡して大変喜ばれたといった記述があるが、本能寺の変・信長覚醒説については触れられていない。


1、2、3を踏まえて考えると、信長ゆかりの清州城のそば、ナイル川に似た川のほとりの2DKで鯖と暮らし始めたことは、歴史がそうさせたとしか思えない。住み始めて2カ月が過ぎようとしている今、しあわせに暮らしていることをここに記しておき、忘れないようにしたい。
いつか未来の研究家たちが荒涼とした土地の片隅で、墜落した宇宙船を発見し、そこに残されたコンピュータからこの日記に接続する。モニタに映し出されたはじめてみる言語を解読した研究家たちは、過去にこの土地でしあわせに暮らしたふたりのミイラを発見することになるだろう。そしてその時神々たちのための音楽を再現するために作られたとしか思えない楽器の音色で叩きつけるようなビートと地獄の底からせりあがってくるようなベースラインが奏でられ、研究家たちのこめかみを熱くしはじめる。それが祝福の合図だということは、言語や時代ごとの思考方法を超えて直感的に理解された。

二十代なかばの頃、いつまでもネクタイをふらふらさせておくのも大人げないのではと思いネクタイピンをはじめて買った。クリップのような形状をした金具を手にとってみると、ほんとうにこれでネクタイが固定されるのだろうか、動き回っているうちにネクタイとワイシャツとをはさみきれなくなって落ちてしまわないだろうかと不安になり、店員につめよった。心配はいらないと言い、店員はガラスケースから商品を取り出し、キャッシュレジスターの置かれた机へと案内した。


高齢者が住む家の玄関先に飾られた幼児の写真をみれば、それは孫だと考えてしまいがちだが、実は全く血のつながりのない、本名も知らない幼児の写真が飾られていることも多い。それはかつて流行した、孫カードというものだった。
カードの表は幼児の写真であり、裏面には故意にふにゃふにゃさせた絵手紙のような文字でその幼児のプロフィールが記されている。二重まぶたの、瞳の大きな幼児が好まれる傾向があったが、不機嫌な柴犬のような表情をした幼児の写真にも根強い人気があった。


医師の診察を受け終わった高齢者たちが医院を出て数歩先にある調剤薬局へと向かう。処方箋を受付の女性に渡し、興奮を隠せない面持ちで長椅子に座る。薬袋ひとつに一枚ずつついてくるカードが楽しみで仕方ないのだ。カード欲しさに余分な薬の処方箋を書いてくれとせがむ高齢者がしだいに多くなり、社会問題にまで発展した。
孫カードは禁止されたが、禁止されるほど高齢者たちの欲求は高まり、自らが撮影した幼児の写真をパウチ加工して手製のカードを作成し、孫ゲームに興じる者もいた。孫ゲームのルールは文書化されておらず、今となってはその口頭で伝えられたルールブックを知る者はいない。


仕事の関係のちょっとした用事で訪れたその家の玄関の靴箱の上に飾られていた写真には、思わず手をのばしたくなる魅力があった。どんぐりのような形をしたその瞳は、理想な自分の姿をまわりの人たちの中に求めるような甘えを持たない強さがあり、写真から熱が伝わってくることはないが、大量の紙幣に火を放ったような熱をおびたまなざしだった。
居間で家主との話を済ませ、ふたたび玄関までくると我慢できず、すばやくその写真を手にとり、ネクタイピンにはさんで隠した。後ろからついてきた家主のほうを振り返ることなくドアを開けた。引き戸をしめて立ち去ろうとしたそのとき、背後から声が聞こえた。
「そのカードを手にした者には、何かとんでもないことが起こるだろう……」
家主の声を無視して外に出ると、庭に犬が寝ていた。出された餌を食べきる元気もないといった様子で、ひどく年老いてみえた。


それから数年後、食事に出かけた帰りだったか、洋服を買いに出かける途中だったかに橋の上を通りかかったとき、眼下の川に幼児の写真が大量に流れていくのをみかけた。カードの幼児たちは、笑ったり泣いたり、眠っていたりさまざま表情を浮かべて水面を漂っていく。孫カードの流行が終わりを迎えたのだった。
そのとき隣で一緒に川をみつめていた女性とは、もう数年会っていないし、あのとき家主が予言したとんでもないことは今のところ起きていない。

山手線で上野駅に向かう途中、佐々木は居眠りをしてしまい、目覚めると東京駅の医務室にいた。ひどい頭痛がしてベッドから起き上がることができなかった。数時間後、ようやく立ち上がり外へ出たとき、持っていたはずの紙袋がなくなっていることに気づいた。
佐々木はその日、上野の国立科学博物館の地下23階にある日本秘密研究所へ向かっていたのだった。研究所への入り口は秘密になっていて、展示されているヒグマの口に、ICチップが埋め込まれた木彫りのマスを差し込むと床が地下23階へと急降下する仕組みになっている。佐々木に残されたのは、内ポケットに入れてあったそのマスだけだった。あとの荷物はすべて何者かに奪われてしまったらしい。佐々木は研究所のボスのことを思った。研究所のボスは20年前に肉体を失っており、特殊な溶液に入れられた脳髄だけが存在している。脳髄ケースからは、赤・青・緑・黄緑の四色のコードがのびていて、電光掲示板につながっている。四色の様々な組み合わせにより、喜怒哀楽だけでなく、(気持ち悪いけれど、かわいい)などの複雑な心情も表現できるのだった。最後にボスと面談した際、どこか様子がおかしかった。脳髄が溶液の中で震えているようにみえた。(これまでの人生がすべて夢で、ふと目覚めると全く違う自分になっていたらいいのに)そう電光掲示板に表示されていた。佐々木はそろそろこの研究所を抜ける時期ではないかと感じた。失った紙袋に入っていた研究成果を納めてからその意思をボスに伝えようと考えていた。
「最後のお土産、なくなっちゃったけど、まあいいか」
若々しい口調で佐々木はつぶやいた。額には40年にわたって刻み込まれてきた皺がうごめいていたが、一本一本の皺に躍動感があふれた美しいうごめき方だった。


NHKと大きく書かれた紙袋はその頃、東海道新幹線の車内、NRハウスの開発担当・吉岡の膝の上にあった。居眠りしかけた佐々木にクロロホルムを嗅がせ、紙袋を奪ったのはこの吉岡であった。
(こんなに大切な書類を、紙袋に入れて持ち運ぶなんて……)
吉岡は眠り込む佐々木の姿をみながら思った。
NRハウスは、他のハウスメーカーに大きく遅れをとっており、画期的な新商品を必要としていた。紙袋の中をのぞきみると設計図がみえた。それは押しボタンの設計図だった。吉岡はこのボタンを利用して、画期的な住宅設備を作り出そうと考えていた。
子どもがボタンをみるととにかく押したがる性質を利用して、押される度に発電するボタン装置が設計された。これを住宅内のしかるべき所に設置し、ソーラーパネルと併用すれば太陽の光の力と、子どもがボタンを押す力によって電気代が驚くほど節約できるようになる。まさにニューロマンティックハウスの名にふさわしい次世代の設備。これで社内での重要な役職を得ることができる、そう確信した吉岡は昼間からためらいなく缶ビールをあけた。


子どもがボタンを何度も押したくなるように、押す度にいろいろな音が鳴るように設定する。ガチョウの鳴き声や、興が乗ってきた黒人歌手の雄叫びのような音や、若手演歌歌手がビブラートの練習をしているような音など。ランダムに鳴るので楽しくて押すのをやめられない。玄関、トイレ、キッチン、階段、ベランダ、いたるところにボタンをとりつける。子どもたちがボタンを押すたびに、家電が動き出す。
パネルのボタンを押しながら、展示が光ったり、解説ビデオが流れ出したり、展示人間が動き出したりするのには目もくれず、次のボタンを目指して駆け回っていく子どもたちのエネルギーを電力にできないものか……博物館を訪れた際の佐々木のひらめきはハウスメーカーの開発部によって実用化されることになった。


世界の博物館や科学館で、展示人間たちが誰もいないところで同じ動作を繰りかえし続けている。弓矢をひき続ける者、ろくろをまわし続ける者、船をこぎ続ける者、田畑を耕し続ける者、手裏剣を投げ続ける者。自分の意思とは無関係に、それぞれの持ち場から動くことなく、誰からもみられることなく続けられる孤独な作業――人は何年、何ヶ月、何週間、何日、何時間、何分、何秒、そんな生活に耐えられるだろうか。

恋人に別れを告げられてから一ヶ月が過ぎた。
帰宅してドアを開けると床にサッカーボール程の大きさの毛玉が転がっていた。人の毛と犬の毛を混ぜたような質感の塊が、風もないのに動いている。とても生きているようにはみえないが、乾いた笑い声のような音をたてて転がっている。(ずっと掃除をしなかったからほこりや髪の毛がたまってしまったのか)と考えていると、毛の塊が触手のようにのびてきて胸ポケットにさしてあったボールペンを奪った。奪ったボールペンを顔の前に持ってきたその仕草が催促しているように思えたのでペンをノックしてやると、床に落ちていた茶封筒に文字を書きはじめた。(マヤ文明の暦は2012年で終わっているから、2012年で文明社会は終わるかもしれない)と読めた。自宅の住所を横切るようにして書かれたので多少読みづらいが、そうとしか読めなかった。あと4年でなにもかも終わるのかと思うと胸がすっとするような感じがした。
残り4年間、あたらしい気持ちで生活したい。比喩ではなく脱皮して、あたらしい身体に変わりたい。イルカのようにつるんとして毛のない全身に、これまでのように棒状や穴状の性器ではなく、裂けるチーズを存分に裂ききったかのような束状の性器を持ち、その束を風になびかせることで快感を得るあたらしい生き物。内面はというと、前向きだとか後ろ向きだとかいう空間的な精神論から自由になったあたらしい心持ち。
水辺で束を風になびかせる生き物たちを、色調の変化を物体の固有色と光源色に分割してキャンバスではなく網膜上で色を混合させる点描画法で描いた巨大な絵画がロンドンのテートモダンの一室に展示されている。かろうじて美術館の建物だけが残ったが、建物の外の文明社会は終わってしまった。絵画を眺めていると、足元に毛の塊が転がってきた。白い毛が混じっていた。人の白髪だろうか、それとも白い犬の毛だろうか。触手がのびてきて胸ポケットにさしてあったサインペンを奪った。催促される前にキャップをはずしてやると、白い壁に丸を描きはじめた。黒い丸は時計の文字盤のように、円形に12個並べられた。円形に並んだ物を数える時には、どこかに印をつけておかないと重複して数えてしまって何個あるかわからなくなってしまうので注意したほうがいいということを懸命に教えようとしているようだった。この数え方については幼い頃ポンキッキでみたことがあるのを思い出し、懐かしい気持ちになった。

初めて住宅展示場へ行った。金曜日に、ハウスメーカーの営業マンから住宅ローン案件を紹介してもらうためにモデルハウスで待ち合わせた。どのメーカーのモデルハウスも豪邸だった。約束の時間に営業マンが現れなかったのでリビングで待たせてもらった。まず中庭が目についた。中庭には行楽地に置いてあるような丸いテーブルと椅子が四脚並んでいた。壁に花瓶などを飾っておくための窪みがあった。台所の調理台が部屋の中央にあるのに驚いた。まったく興味のない画家の展覧会よりも、モデルハウスははるかに興奮する場所だった。とはいえ、まったく興味のない画家の展覧会にわざわざ出かけたことはない。
壁に「ぜひスリッパを脱いで確かめてください」というプレートが貼られていたので脱いでみると足の裏がじんわりと暖かくなった――あれは確かお昼前のお腹が空いてくる時間。なんとなくおしっこがしたいような気もするし、ローソンに寄ってお菓子でも買うかと思いながら毎日訪問する材木店に向かって営業車を走らせていたときだった。つけっぱなしにしたカーラジオからラジオ・ショッピングが流れてきた。マッサージ・チェアの紹介だった。値段は忘れたが、「今回ご紹介するのは」「このお値段にしては本格的なマッサージ・チェアです!」「本格的なものとそうでないものとの違い」「わかりますか」「実は、マッサージ・チェアの一番の違いは、光センサーがあるかないか」「今回のこの商品は肩や背中はもちろん、足元もしっかりとマッサージしてくれます」「それだけではありません、こちらの商品は、なんと、お尻までマッサージしてくれるのです!」「ぜひ一度座ってみてください……声が出ます!」――スリッパを脱いだ瞬間、「あぁ」と声が出た。きっとマッサージ・チェアの件も、嘘ではないはずだ。

お前らは全員ぬるま湯につかっている。先週の金曜日の夜、支店長が語るのを聞き黙ってうなづいていた。支店長に言われるまでもなく、今後どんなにきびしい職種に就いても平気で働けるよう自らを訓練していく必要があると感じていたからだ。自分にきびしくするため、まずは菓子を食べながら営業活動をするのをやめた。ささいな尿意を口実にコンビニエンスストアに入り、ついでに菓子を購入するのをやめた。それ以後、尿意をこらえながらハンドルを握ることが多々ある。尿意をこらえることで、無駄を省いた分刻みの行動が実現できることは確かにある。しかしながら、2メートルあるかないかの細い道を営業車で通り抜けなければならないことも多く、そんなときにはやはりおしっこは我慢すべきではないとも思わされる。
家主が自分の家を破壊されまいと、塀の角などに反射板だとか蛍光色の棒のようなものを取りつけているのをたまに目にするが、飾りつけをしたところでどうせぶつかるときにはぶつかってしまうのだから、壁にぶつかりそうでひやひやする気持ちを、心地よいどきどきへと変化させる工夫が地域を豊かにする。一番簡単で効果があるのがラブレター。白い封筒に赤いハート型のシールのラブレターが狭い道の曲がり角に貼られていると、もしかして、とどきどきしてしまう。重要なのは細すぎる道で心地よくどきどきすることなので、ラブレターの中身は愛の言葉が綴られた便箋である必要はなく、むしろ〈ふぐ料理満喫ツアー招待券〉などのほうがうれしい。ハート型のシールが紫色の場合は注意が必要で、ふぐ料理満喫ツアーと思いきや地獄巡りへの招待状が入っている。一度この招待状を手にした者は参加を拒むことはできないと書かれているが、振り込め詐欺と同じで無視しても問題はない。律儀に参加してしまうと、尻の穴に各々の職業にまつわる品物(銀行員の場合は一円玉から順番に五百円玉までを、建築業の場合は細めの角材、など)をねじこまれ、目隠しされて火山火口を歩かされ、ラブレターなんて拾うんじゃなかったと、アイマスクの下で涙を流すことになる。だからといってラブレターなんて欲しくないとは思えない。セクシーな異性から、あるいはセクシーな同性から、意外な方法でラブレターを渡されたい。お風呂あがりに鏡の前に立ち、「あれ?ハート型のニプレスなんて貼ったっけ?」と思い目を凝らすと、肌の色をした封筒がみえてくる。忍者が壁と同じ色の布を被って隠れるあれだ。