「ポリチンパン」8


 夏が終わり秋がはじまろうとする頃の東尋坊には海からのすずしい風が吹いていた。弟は運転中ずっとレイバンのサングラスをかけていて、(こんなサングラスをかけたりするのだな)と思った。駐車場を出てすぐの商店で海鮮丼を食べ終えると、わたしと弟とは目的を果たそうと、観光客の多い広い崖を避け、小さめの崖を探した。遠くに遊覧船が浮かぶのをみながら、弟はリュックサックからビニール袋に入った骨壺を取り出した。壷を逆さにして、ビニール袋の中にまだ形の残った遺骨を入れると、ふたりで袋の上から骨を揉み砕き、粉々にした。ふたりで骨を揉み砕いていると、子どもの頃に鳥の唐揚げの下準備を手伝ったときのことが思い出された。
 祖父と福井県に来たことはなかったけれど、葬儀状のディスプレイに映し出された祖父の姿をみて、東尋坊に行ってみたいと思った。葬儀の後で弟に電話をかけると、引っ越しとマンションの売却の手続きがもうすぐ終わるから、落ち着いたら一緒に東尋坊へ行かないかと彼は言った。わたしもそう思っていた、とは言わずに、そうしようと言って電話を切った。
 人差し指に唾をつけて風向きを確かめていた弟が、こうやって風向きを確かめるひとの姿をみたことがある気がしてやってみたけれど、実際やってみると指が唾臭くなるだけでよくわからないと言いながらこちらを振り返ってきたので、弟の手からビニール袋を取ってその中に手を入れてつかむと、子どもの頃にした節分の豆まきを思い出しながら粉々になった骨をまいた。すると風向きは向かい風に変わり、まいた遺灰を頭から被ってしまった。わたしは髪の毛と顔が白くなって、弟はサングラスをしていたところ以外は白くなって、すこしむせながら手でぱたぱたと灰を払ったので、遺灰のほとんどは風に乗って海へと飛んでいくことはなく崖の地面に落ちた。ビニール袋を逆さまにして少し残った遺灰をふり落とすと、今度は海へと風が吹いて、散り散りに吹き飛ばされていった。ふたりとも海に骨をまくことに深いこだわりがあったわけではなかったけれど、頭から被って終わりというのはちょっとどうだろうという気はしたので、それで満足して崖を後にした。土産物店の店先に生ウニが並んでいるのを眺めて、ひとつ買ってみたら棘の中に上げ底が隠れていて、食べられるのはほんの一口だけだったことには不満をもらしつつ、縄文時代から日本人はウニを食べていたらしいよと話しながら駐車場へと戻った。
 その後に起こったことは、説明しても誰も信用してくれないかもしれないし、自分でもやっぱりちょっとどうだろうとは思うけれど、たぶんほんとうのことだった。
 せっかく福井県まで来たのだし、永平寺でもみて帰ろうかと言って、弟の車の古いナビゲーションシステムで「永平寺 駐車場」と検索して案内されたルートに従って走り出した。道路の両側に広がる田んぼの中を進み、ゴルフ場のそばを通りすぎ、北陸自動車道に乗って福井北で下りて山道に入ると、木々の間から薄いピンク色の建物が現れてきた。永平寺の手前最後の信号で停まると、そこから「イオンタウン永平寺」という文字とテナントとして入っている店舗の看板が並んでいるのがみえた。
 いつの間にかこんなところにもイオンができていたのだねと話しながら警備員に案内されるままに立体駐車場を一階あがり満車の表示と警備員の案内にうながされてもう一階あがり、最終的に屋上まで上ってから車を停めて、まわりをみ渡すと山々と、もともとの永平寺の建物とこのイオンタウンとを結ぶ連絡通路があった。店内に入るとエスカレーターで一階まで降り、スターバックス・コーヒーでスターバックス・ラテを注文した。まだ払い落としきれていない灰が髪の毛に残っている気がして頭を叩きながらコーヒーを飲んでいると、出入り口付近のトイザらスがある辺りから悲鳴が聞こえ、買い物客がこちらに向かって走ってきて、目の前を通り過ぎて食料品売場の方へと消えていった。それに気づいた他の買い物客たちも、それぞれ無印良品GAPの店内から飛び出してやはりこちらに走ってきた。立ち上がってみなが走ってくる方角に視線をやると、聖火ランナーのように炎をかかげた茶色い男たちがゆっくりとこちらに向かってくるのがみえた。全身の茶色は泥まみれになった土くれで、徐々に近づいてくると表面が乾いてひび割れてきているのがわかった。衣服を着ているかどうかも判別できないくらい汚れきっていて、乾いた泥の隙間からみえる目は真っ赤に充血していた。ひと目でこれは危険だ、逃げようという気を起こさせる風貌だったので、わたしたちもコーヒーを置いてそのまま逃げ出した。
 エスカレーターを駆け上がって見下ろすと、泥まみれの男たちは店員も客もみな逃げ出して誰もいなくなった店内のテーブルに残されたコーヒーやケーキやサンドイッチをあっという間に貪り食うとすぐにまたこちらに向かってゆっくりと走ってきた。それは走っている人の姿をスローモーションで再生したかのような走り方で、身体の動きは確かに走っているのに速度は歩くのと同じくらいの速さだった。焦げ臭いにおいがして漂ってくる方角をみると、ユニクロとHMVから煙が上がり、そこからも泥男たちが湧いて出てきた。三階へと続くエスカレーターの周辺は既に泥男たちに包囲されていて簡単には近づけそうになかったし、一階と二階とをつなぐエスカレーターは上りも下りも泥男たちに塞がれていた。行き場を失ってフードコートの入り口の側にあった永平寺お土産コーナーに駆け込んで身を隠すところを探していると、坐禅のときに肩や背中を打つ「警覚策励」という棒が目についた。ビニールのパッケージの上部の、陳列フックにかけるための穴が開いた厚紙の部分には、坊主の写真があり、その口元から出た吹き出しには「喝」と描かれていた。弟と顔をみあわせ、店内のレジをみると既に店員は逃げ出した後だったので、棚のフックから警策を取り、パッケージを破ると強く握りしめてお土産コーナーから通路へと出た。背後のフードコートも既に泥男たちに占領されており、食べ物を咀嚼する音が大げさなくらいに響いてきた。わたしと同じように警策を握りしめた弟は、あいつらをおびきよせて引き留めておくから、その隙に屋上の車まで逃げてくれと言って車のキーを渡してきた。丸い感触がして手を広げてみると、キーには記念メダルのキーホルダーがつけられていて、メダルの中心にはモンキーパークのキャラクターが、その周辺には弟の名前がローマ字で、刻印されていた。
 後から追いつくつもりだけれど、もしも危なくなったら先に脱出してほしい。そう言い残すと警策を振り回しながら三階へと続くエスカレーターの前を駆け抜けて、スポーツオーソリティの前まで行くと振り返り、通路の手すりをカンカンと打ち鳴らした。それに気をとられた泥男たちはぞろぞろと弟の方へと向かって走るような動作でゆっくりと動き出したけれど、今度はフードコートで食事を終えた連中が再び通路を塞ごうと移動してきた。わたしはエスカレーター目指して走り出し、ランニングで鍛えた足がものを言うぞと思いながら、泥まみれの男の間をひとりふたりとすり抜け、それでも行く手を阻もうとする相手には狙いを定めて飛び上がり、学生時代のテニスを思い出しながら脳天めがけてスマッシュの要領で警策を振りおろした。乾いた泥が砕けて飛び散って、直立不動の姿勢で動かなくなった男の横をさらにすり抜けてエスカレーターを駆け上がり、さらに何人かの男の脳天にスマッシュをくらわせながら屋上駐車場を目指した。
 屋上に出ると、飛び立っていく2機と、いままさに飛び立とうとする1機のヘリコプターがあった。2機は高度を上げて遠ざかっていく。残された1機から黒人の操縦士が身を乗り出し、こちらに向かってなにか呼びかけてきたけれど、プロペラの音で何を言っているのか聞き取れなかった。振り返るとエレベーターのドアが開き、泥まみれの男たちが屋上駐車場へと押し寄せようとしていて、迷っている暇もなくわたしは差し出された操縦士の腕に手を伸ばすとそのまま機内へと引き込まれて、ヘリコプターは離陸した。見下ろすと、各階を連結する車専用のスロープを弟が駆けあがってくるのがみえて、もう一度降りて弟も助けてほしいと訴えようとしたけれど言葉が通じているのかいないのかただ操縦士は首を横に振った。どんどん小さくなっていく弟に向かって車のキーを投げることしかできなかった。落ちていく記念メダルが、くるくると回転して光っていた。
 あっという間に永平寺は遠ざかり、山々の合間の一筋の道路とそのまわりに並んだ家々の屋根、四角く区切られた田畑、小さな屋根が集まった分譲住宅街、そしてまた山が続き、その向こうにはタイルを敷き詰めたように細かく田畑があって、爪の先みたいに小さな屋根が並ぶ中にところどころに建つ大きな商業施設から黒い煙がいくつも立ち上っていて、同じようなヘリが並んで飛んでいるときもあった。わたしが座席に座りベルトをしたことを確認すると、操縦士は何も言わず、計器類の中にあるボタンをひとつ押した。するとどういうわけかプロペラの音が聞こえなくなり、操縦席にある小さなスピーカーから、カルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が流れてきた。
 1870年のミシシッピ州、川辺のカラフルな衣装を着た人々の中で、さらにカラフルで派手な衣装を着たボーイ・ジョージが歌い、やがて到着した船に乗り、船内ではトランプが始まる――ミュージック・ビデオを思い浮かべながら、ふと操縦士の股間に目がいった、まるで吸いよせられるかのように目が離せなくなって、そのままみつめていると、だんだん股間が盛り上がってきてズボンの生地が裂け、裂け目から発芽、と同時に育ちきった太い幹が現れ、先端が水風船のように膨らみはじめ、その膨らんだ先端が突然パッと花火のように開き、胞子状の物が飛び散って、その胞子がさらに細かい粒子になって鼻先まで届いて、息を吸い込むときに粉が鼻腔に入り込んで、鼻から目元にかけてじんわりと熱くなり、涙の膜が瞳を覆ったとき、わたしは瞬時に納得した、もうそういう時代なのか、と、いや、厳密にいうとそうではなくて、あらためて納得するまでもなく、子どもの頃から知っていたことを、こうなると予感していたことを、ただ思い出しただけだった。

「ポリチンパン」7


 供述によればその日人事部から呼び出されたのは十五名だった。呼び出された理由については明らかにされていなかったが、各自予想はついていた。接待で風俗店へ行く計画は実現しなかったし、背任行為を実際に行った者はひとりもいなかったが、呼び出された者は皆その予備群とみなされているということだった。不祥事件により多大な損害を被ることを防ぐため、兆候がみられる行員については徹底的に調べあげ、犯罪に手を染める前に退職に追い込む。それが人事部秘密警察課の役割だった。
 まずはすべての行員の給与振込口座の履歴を毎月チェックし、生活レベルにみあわない多額の入出金など、おかしな動きがないか調査を行う。この調査については秘密にされているわけではなく、行員はみな自分の口座がチェックされていることを知っている。そのため、やましいことがある者は他行に口座を作り、資金を移すことが多かった。しかしここから先については後からわかったことだが、人事部秘密警察課は、銀行間の秘密警察課ネットワークによって個人情報保護法に抵触する行為ではあるが、紳士協定により要注意行員の口座履歴を秘密裏に交換しあっていた。つまり、日本国内の銀行口座はすべて監視下におかれ、隠し場所も逃げ場もないのだった。口座履歴はすべて調べあげられ、跡をつけられてマジックミラーの店に入るところを写真に撮られ、さらには同じ待合室まで入り込み、どんな女を指名したかまで確認され、もしかしたらプレイルームでの女との会話や情けないあえぎ声まで盗聴されていたのかもしれないと思うと、いくら不祥事件防止のためとはいえ、どうしても納得がいかないと男は供述している。
 そのほか、ネズミ講の現場をおさえられた者もいれば、パチンコ店へ通った頻度と出玉数とを調べられた者もあり、とにかく心当たりはある状態で十五人の不祥事件予備群とみなされた者たちは待合室に集められていたのだという。待合室から人事部の役員たちが待つ別室へはひとりずつ個別に呼ばれることになっていたが、集められた十五人は視線を交わして通じあい、言葉もなく黙って全員が頷くと同時に立ち上がり、別室へと一斉になだれ込んだ。
 ドアが開くと役員たちは驚いた表情をみせたが、そのうちのひとりが「最後の最後まで迷惑なやつらだ、もういい、全員まとめていますぐ退職届けを」と喋りだしたが、すべてを言い終わる前に十五人のうちのひとりが「うるせぇ馬鹿野郎、ぶっ殺してやる!」と叫ぶと、室内に置かれていた折り畳み式長机を全員で蹴り倒し、横倒しになった机をそのまま持ち上げるとブルドーザーのように役員たちを壁際へと追いやった。勢いよく押しやられ、役員の中には壁との間に圧迫されて口から泡を吹いて失神する者もいたという。
 秘密警察課の部隊が駆けつけるよりも前に十五人は本部ビルを飛び出し、最寄りのジャパンレンタカーに入ると二台のハイエースを借りて全員が乗り込み、とにかく北を目指した。全員怒りと不満とが爆発して収まらず、車内で足を踏みならしたり腕を振り回したりし続けたため、車体を縦に激しく上下させながら二台のハイエース北陸自動車道をひた走った。高速を降りると山道に入り、山深くなってくると初めから返すつもりもなかったレンタカーを乗り捨てて歩いて山中へと踏み込んだ。途中の賤ヶ岳サービスエリアでお茶やジュースや水、お菓子や土産用のレトルト食品やインスタント食品などを大量に買い込んでいたため、食料については当面の心配はなかった。日が暮れるまでに寝床を探そうと、十五人は山の斜面を歩き回り、やがて小さな洞窟を発見した。
 議論をするまでもなく、十五人の目的はひとつだった。さっきまで自分たちが所属する勤務先だった銀行を捨て、自分たちだけのあたらしい金融システムを一から作り上げるのだ。
「我々は野生の銀行員だ」
 お互いの顔がはっきりみえない薄暗い洞窟の中で、誰かがそう声をあげた。すると、そうだ、野生の銀行員だ、野生の銀行員だと次々に声があがった。木々を拾い集めて洞窟の中心に積み、百円ライターで火をつけると炎を囲む男たちの顔はみな赤く上気したようだった。
 まずは貨幣からと、石とドングリとを硬貨に、落ち葉を紙幣とすると定めたが、葉は枯れてちぎれて粉々になってしまい耐久性に問題があるため紙幣そのものを流通させないことになった。

 その後に起こったことは、説明してもおそらく誰も信用しないだろう。そう男は供述している。確かにこの部分については信憑性に欠けるものと思われるが、男は以下のように語った。
 洞窟で寝泊まりするようになって数日後、サービスエリアで買い込んだ食料も徐々に減り、食料の確保に着手しなければと考えはじめた頃、洞窟の奥から蚊が大量発生した。全員が全身を蚊に刺されたが、不思議と痒みはなく、皮膚の表面が火照ったような感じだけが残った。その熱に浮かされるように、一人また一人と洞窟の奥へと進んでいった。やがて通路は立っていられない程に狭くなっていき、四つん這いでさらに進むと急に広い空間へと出た。一瞬洞窟の外に転がり出たかと思うほどそこは明るかった。目をこらすと、岩壁に貼りついた苔が発光しているのだった。
 ところで、野生の銀行員としての生活を初めてから困ったことのひとつに、山の中にはファッションヘルスソープランドもないということがあった。暗黙のルールで、ひとりずつ順番に洞窟の奥のヒカリゴケの空間に入り、そこで陰茎を無心にしごいて射精してもよい、というよりもそうするととても気持ちがいいので是非ともそうしよう、ということになった。蚊に刺されてからの身体の火照りと、光る苔から発せられる湿り気とが混ざりあう。洞窟の奥での行為は森の中の唯一の娯楽となり、十五人が交互に苔に向かって射精を続けた。
 するとどうだろう、ある晩寝静まっていると洞窟の奥からモゾモゾと動く物がある気配がした。それは緑色に光った人影だった。緑色に光る苔が人の形になっていた。蚊に刺されて何か変化が起こった人間の精子と苔とが交わってほんとうの野生の銀行員が誕生したのだと思った。おそらく他の十四人も同時に悟っていただろう。ほんとうの野生の銀行員たちは次々に誕生し、洞窟の中はあっという間にすし詰めの状態になり、外へとなだれ出た。夜空には星座早見表そのままの満天の星空があった。緑色に光る人型のものの、顔をみると目の部分には窪みしかなかったが、窪みの部分に視力が備わっているかのように空を見上げていて、口元をみれば涎が糸をひくように緑色の細い糸状のものを粘つかせながら上唇と下唇とをいまはじめて分離させ、かすかに開き、そこから呼気が出た気配がした。この生き物は、肺で呼吸をしているのだ。ほんとうの野生の銀行員は、人間と同じように食事をするのだろうか、もしそうだとしたら食料も居住スペースも不足することは火をみるより明らかだ。
 この山を出て、どこかを襲撃する計画を立てるまで、さほど時間はかからなかった。百円ライターの小さな火から育てた炎を分けあって松明を作り、野生の銀行員もほんとうの野生の銀行員も皆炎を高くかかげると、一斉に山の斜面を下りはじめた。

「ポリチンパン」6


 施設から電話があったのは、ユービック・ガールとして試供品の小さな缶をパルコ前で配っている最中だった。ホットパンツのお尻のポケットに入れてあった携帯電話が震えた気がして、左手に持った袋から缶を取り出して通りすがりの人に手渡したあとの右手をポケットにあてると確かに着信がわかったけれど、すぐに出ることはできずに袋の中へと手を伸ばして次の缶を握りしめていた。
 一連の動作をいちいち意識してぎこちなくなってしまうのは、人通りの多い中でビキニ、つまり裸みたいな格好で立っていれば当然といえば当然だったけれど、一番の原因は最近ユービック・ガールの仕事をしているとき、違う曜日の違う場所でも、いつも同じ男が試供品を受け取りに来ている気がして不気味だったからだと思う。ほぼ同時期にアパートの窓辺に干してあった下着が盗まれたのも気持ちが悪かった。もちろん同じ男の仕業かどうかはわからないし、下着泥棒については男かどうかもわからない。
 身体を触られる訳ではないし、声をかけられるわけでもないけれど、遠くからじっとみつめられていて、それに気づいてみかえすと目をそらし、そらしたからといって立ち去ることはなく、動こうとはしない。その男のほうばかりをみている訳にはいかないから、通りかかる人たちに声をかけて再び試供品を配りはじめると、いつの間にか男は通行人として目の前に現れて、視線を合わせずに缶を受け取って去っていく。
 一瞬すれ違っただけの人と、まったく別の場所でもう一度すれ違ったとき、瞬時に同じ人だと気づくことが果たしてできるのだろうか。
 特徴的な髪型、特徴的な顔、特徴的な服装、いつも同じ服装、そういった要素が重なったときに気づくことは考えられる、というよりも経験がある。でもそれは同じ時間帯に利用する駅でいつもすれ違うひとだったりして、場所や時間も関係してくるのかもしれない。
 その男の場合は、場所や時間はもちろんばらばらだったけれど、現れるのが決まってユービック・ガールの仕事中という点で印象に残っていたのだと思う。
 特徴的な髪型かといえば違うし、特徴的な顔でもなかった。服装は、いつもポロシャツを着ていた。ポロシャツの色は都度違っていて、胸の刺繍だけが同じだった。試供品の缶を手渡すとき、一瞬顔をみて(また同じ男だ)と思うと怖くなって視線を落としてしまい、ちょうど胸の刺繍に目がいくので毎回刺繍をみた。馬に乗ってスティックをふりあげている人物のシルエットの刺繍。また同じ男だ、胸元をみる、同じ馬の刺繍、今日も同じ男が来た、胸元をみる、また同じ馬の刺繍、でも回数を重ねる毎に刺繍の馬は左胸から少しずつ右胸へと移動しているような気がした。パラパラ漫画の要領でシャツを重ねてめくっていったら馬が駆けていくようにみえたかもしれない。
 電話が鳴ったその日、ポロシャツの男はまだ現れていなかった。袋の中の缶を配り終えて、休日の買い物客で混雑する歩道を離れてハザードランプを点滅させて路肩に停車しているユービック・カーへと戻った。改造された軽トラックの荷台に設置された巨大なユービックの缶の形をした冷蔵庫から試供品の缶を出して袋に補充するときにお尻のポケットから携帯電話を出してみると、ディスプレイに不在着信の文字と介護施設の名前とが表示されていた。
 緊急時以外連絡することはありませんと聞かされていたから、とっさに命にかかわることだと思って、仕事中だったけれどその場で電話をかけなおした。1コール、2コール、3コールと待っても誰も出ず、4コール目を聞いたとき、さっきまで試供品を配っていた歩道から、信号が青にかわってスクランブル交差点へとひとが一斉に動き出すなかひとりだけその場に立ったままのポロシャツを着た男がユービック・カーの前にいるわたしの様子をうかがっているのがみえて、脇の下を冷たい汗が流れた。携帯電話を握りしめたまま、片手に持っていた袋を投げ捨てると、赤に変わって信号待ちをする人混みのなかからわたしをみていた男がこちらに向かって一歩踏み出すのがわかって、同時にわたしは駆けだした。走りながら振り返ると男がこちらをみつめたまま、人混みを押し分けながらまっすぐに向かってくるのがみえた。遠くからみつめているか、通行人として試供品をもらいにくるだけだったこれまでとは明らかに様子が違っていた。それはわたしが急にいつもと違う行動を取ったせいのように思えた。思いつめたような顔つきをみておそろしくなって、車道に飛び出す勢いで大きく手を挙げると、ウィンカーを出して停車したタクシーのドアが開くやいなや飛び乗って、窓越しに駆け寄ってくる男の姿がみえたので行き先を告げる前に急いでこの場を離れるようにお願いすると、わたしの格好に驚きながらも運転手は素早くドアを閉めて発車した。ちょうど後続車が途切れ、タクシーは流れに乗ってパルコ前の交差点を走り抜け、取り残された男は立ち止まり、手のひらを眉毛のところへ日差しを避ける帽子のつばのようにあててこちらを眺めていた。遠ざかっていくと、その姿は敬礼しているようにもみえた。



 面会室に入ると、弟の背中があった。机に伏せて居眠りしているような体勢で、肩甲骨がうきあがってできたシャツの凹凸に窓から差し込んだ夕日が影を作っていた。声をかけると、振り返って驚いた表情をした。その顔をみて、自分がビキニみたいな格好だったのを思いだし、羽織るものが何もなかったのでとりあえず腕組みをした。
 遺体用冷蔵庫での一時預かりの手続きを済ませたところだと言われて、そう、としか答えられずに弟の向かいの椅子に座った。向かい合って座りながらお互いの顔もみずに黙ったまま、どれくらいそうしていたのだろう、気がつけば外は暗くなって、テーブルの上のペンダントライトがひとりでに灯って、こんなライト前からあったかなと思いながらみあげると弟も同じようにみあげていて、その後目があって、帰ろうかと言うと、そうだね、と答えた。
 外に出ると、タクシーの運転手が車の傍らに立ってタバコを吸っていた。その姿をみた瞬間、待たせていたことをすっかり忘れていたことに気がついた。はっとして立ち止まったわたしをみた瞬間、運転手の顔に(長い間待たされていたことを責めよう)という気持ちと(もしかしたら運賃を払わずに逃げてしまったかもしれないとも思ったが戻ってきてくれてほっとした)という気持ちとが混じった表情が浮かんだ気がして、責めようという気持ちが勝ってしまう前に精算して謝ってしまおうと、弟に頼んで支払いを済ませてもらい、深くお辞儀したままタクシーを見送った。ユービック・カーの前から逃げるようにタクシーに飛び乗ったので、コインロッカーに入れた財布や着替えを忘れてしまっていた。
 白い扉の中心にジャンケン・チョキのマークが描かれた、小さな営業車の助手席に乗り、荷物を入れたコインロッカーまで送ってもらうことにした。弟が運転する車の助手席に座るのは、祖父を施設に送っていった日以来だと思った。でもそのときよりも車はずっと狭く、車内には揚げ物の油や海苔やよくわからない食べ物の臭いが漂っていた。鼻を動かしているわたしをみて、弟は「ほとんどの食事を車の中で済ませるから、コンビニの駐車場でカレーパンを食べたりだとか、ごめん」と独り言のように言って、ラジオのスイッチを押した。ラジオからはジャズが流れていたけれど、わたしはジャズに興味がなかったからただジャズとしかわからなかった。弟も特に興味はないらしく、ジャズについて何も語らなかった。ふたりとも黙ったまま、流れていく景色を眺めていて、過ぎ去っていくガソリンスタンドの看板やファミリーレストランの看板や家電量販店の看板が照明で光っているのをみても、カタカナで書かれた店名が頭の中で意味を結ばずに、どこか知らない外国の道を走っているみたいだった。
 パルコ前の交差点に着いて車を降り、そのまま別れようと手を挙げると、今日は早くあがるから晩ご飯でも一緒にどうかと言われ、コインロッカーから荷物を出してビキニみたいな格好の上からTシャツを着ると再び助手席に乗り込んで、営業所の近くの喫茶店で降りてコーヒーを飲みながら弟が戻ってくるのを待った。



 混雑する店内に入って見回しているとちょうど二人組が席を立ってレジに向かい、油で汚れた丸いテーブルの上を店員が片づける前に席に着くと、水の入ったグラスを二つ運んできた女性は片手で水の乗ったお盆を持ったままもう片方の手に持った布巾で素早く真っ赤な天板の上を拭きあげ、グラスを並べた。黙って厨房へと戻ろうとするのを呼び止めて、弟はメニューもみずに台湾ラーメンと青菜炒め、唐揚げと炒飯とを注文した。
 窓際の席で、窓ガラスに映ったわたしのTシャツにはアルファベットでどこかの国名がプリントされていた。なんのこだわりもなく、割引になっていたのを手に取ったものだった。世界地図のどこにあるかも思い出せなかった。車の中でずっと黙ったままだった弟はグラスの水をひといきに飲み干すと、目を閉じて長く息を吐き、吐き終わると目を開いて、静かに話しはじめた。
 この店によく一緒に来ていたKという後輩がいて、変なやつだとはずっと思っていたけれど、少し前に退職願と表に書かれた封筒に入った置き手紙を残して次の日から会社に来なくなって、その手紙の内容というのが、最近風呂上がりに鏡の前に立つと自分とは違う誰かが立っているように思えてきた、はじめはその理由がわからなかったが、以前よりも胸毛が濃くなったせいだと気づいた、なぜはじめから気づかなかったかといえば、鏡が小さいせいで胸元が映っていなかったし、服を脱いでシャワーを浴びて出るまでずっと目を閉じているからで、ただ鏡に映る顔の、首から下あたりから暗い影がかかってきているようで別人のように思えたようだと、要領を得ない、まわりくどい文章で書かれていたらしく、我慢して読み進めていくと、とにかく体毛が濃くなったということは、体毛が身体の弱っている部分を守ろうとしている働きに違いなく、心臓の近くの胸毛が濃くなった、しかも尋常ではない濃さになったということは、心臓がとても悪いからだと思う、思うというよりも、病院へ行き検査を受けるまでもなく確信できる。残り短い人生を悔いなく楽しむため、いますぐ退職したいと締めくくられていた、という話しだったけれど、それを聞いていてもやはり頭の中で意味を結ばずに、祖父のことをなにも話さないのはおかしいという気がして、死んじゃったねとだけ言うと、そうだね、いつもの調子で頼んだらこんなに残っちゃったと弟は答えた。
 真っ赤なテーブルの上には、台湾ラーメンと青菜炒め、唐揚げと炒飯とがどれも半分以上、湯気も立てなくなりじっとりと油が固まりはじめた状態で残されていた。

「ポリチンパン」5


 いままさに肖像画を描かれている最中であるかのようにかしこまった顔つきで並ぶふたりの姿をみるのは、七五三のとき以来だろうか。全国の神社で撮影されたあらゆる七五三経験者たちの写真や、写真撮影のときの状況についてすべてを記録するのが当ネットワークだったはずだが、ふたりの姿以外は消え去ってしまったようだ。そもそもすべてを記録するということ自体が嘘だったのではないかとの疑念を抱くほど、なんの跡形もなく。
 遠い昔、疫病や栄養失調による乳幼児の死亡率が高かった頃、あの世とこの世との境に位置するものとされ、人別帳にも記載されずに留め置かれる存在だった七歳までの子どもたちは、いまでは生まれた瞬間から戸籍ネットワークに記載され、記録されるようになったはずだった。しかしながら、何歳になっても誰もがあの世とこの世との境に位置するものであることにかわりはないという観点に立てば、戸籍ネットワークに登録されないことを選ぶ自由もあってしかるべきではないか、いまとなればそうも思えてくる。
 ふたりが並ぶと弟のほうが頭ひとつ分程度身長が高い。メダル台の前に立ったふたりは、ピラミッド状に積み上げられたメダルの山からそれぞれ一枚ずつ取ると前へと進み、機械の下部にある投入口へと静かにそれを入れた。すると機械上部のディスプレイのライトが点滅し、ポリ、チン、パン、ポリ、チン、パン、とライトの表示が握り拳を表す状態と、人差し指と中指との二本だけを立てたものを表す状態と、指を全部開いたものを表す状態との三つの形態にめまぐるしく変わりはじめ、その前に立った者はディスプレイの下に並んだ三つのボタンのうち、任意のひとつを押さなければならない。ポリはチンに勝ち、チンはパンに勝ち、パンはポリに勝つ。
 「アイコデ、アイコデ、アイコデ、アイコデ」
 彼も彼女もあいこが続き、機械がアイコデショと言い終わるより前に次のボタンを選択する。彼らの後ろには二列に別れて参列者たちが並んでいるため、のんびりボタンを押してはいられない。ポリを押したところ、ディスプレイはパンを表示し、負けてしまった彼は、機械の前で一礼し、棺の前へと進み、遺体の顔をみてから自分の席へと戻る。彼女はといえば、勝負に勝ち、機械は「フィーバー」という声とともにディスプレイの中心を囲むように配置されたルーレットの上を光が回転し、光が5のマスで止まると、メダル投入口の横にある口から五枚のメダルが排出され、それを取り出すと再び投入口へと入れ、ディスプレイがもう一度ポリ、チン、パンとめまぐるしく点滅する前でボタンを押す作業を繰り返す。参列者たちが順番にメダル台から機械の前へと進み、棺をのぞいて席に戻る間、正面の大型液晶ディスプレイには、当ネットワークがネットワークになる以前の姿が映し出されている。
 太平洋戦争末期に手旗信号の練習をしている、幼さの残る姿が徐々にフェードアウトし、戦後の混乱期をやりすごして電電公社に入社したばかりの痩せた姿がフェードインしてくる。同様に、クロスフェード・ディゾルブの手法で過去の姿が映し出されていくのを、参列者たちが座って眺めている。
 新婚旅行へ出かけた伊豆半島の海辺で、妻とふたりで立っている姿、真っ白いシャツを着て、肩に手をまわし、太陽の光を受けて眩しそうな、若いまなざしをディスプレイの前に並んだ人々に向けており、向けられた側の人々はというと、今はもう存在しない人物がかつてその風景の中に実在したということが、同じ時代の同じ場所に居合わせなかったせいでにわかには信じ難いといった表情でまなざしを投げ返している。決して交わるはずのなかったふたつのまなざしが葬儀場において出会うとき、棺を載せる場所であると同時に火葬装置にもなっている台座が作動しはじめ、煙を出さずに遺体を瞬時に骨だけにしてしまう。ディスプレイの映像は生まれたばかりの孫を抱いて玄関先に立っている姿へと変わり、日に焼けた畳の上でふたりの孫とトランプの神経衰弱をしているところも映し出された。
「ほんとうに神経が衰弱してくるからもうだめだ」
何度も何度も神経衰弱をくりかえしやろうとせがまれ、そう断ったことがあったのが思い出される。そして福井へ旅行に行ったときの姿、伊豆半島の海辺にいた若いふたりはもうそこにはおらず、東尋坊に立つ年老いたふたりが年老いたまなざしをこちら側へと投げかけてくるのをみつめかえしつつ、ポリチンパンを終えて最前列に座った彼と彼女とを、ネットワークとしてこの世界のすべてを記録することが不可能だとしても、せめてふたりのことだけはいつまでも見守り記録し続けていきたいが、光は徐々に絞られていき、もうわずかな時間も残されてはいないようだ。

「ポリチンパン」4


 新商品開発会議には、開発部だけでなく営業部も代表者が出席することになっていた。営業部長が出張で不在のため、代理で出席することになった彼はコインパーキングに営業車を停め、会議中に居眠りするのを防ぐために自動販売機でユービックを一缶買った。テトリスのBGMを口ずさみながら車道を渡り、オフィスビルのエントランスへ駆け込んでエレベーターの上昇ボタンを押すとすこし息が切れたため鼻歌は中断し、ステイオンタブ式の缶蓋を開けて一口飲み、(会議のときにはいつもこれを飲んでいたが、ぬるくなってくると唾みたいな味がするから会議の前に飲みきってしまおう、目が冴えてくる唾、神の唾液か)と考えているとエレベーターのドアが開いた。
 再びドアが開くと本部が入居するフロアだった。上の階には回転寿司チェーンの本部が入居しており、下の階には希少野生動物流通業者が入居していた。円形に配置された会議室のテーブルには既に資料が置かれており、経理部の担当者が缶コーヒーを片手に資料をめくっていたり、開発部のメンバーがプロジェクターの動作を確認したりホワイトボードにペンを並べたりしていた。会議室に来るのは何カ月ぶりかを思い出すことができなかったが、前に来たときにはなかったカレンダーが壁にかけられていた。カレンダーの上半分は太陽の光を受けて輝く海が写っている写真で、下半分が日付になっていた。なにかがおかしいと感じたが、すぐにはわからなかった。どこかの高台から見下ろされた海にはヨットが浮かんでいて、建物はひとつもみあたらないが、日本の海にはみえなかった。地中海だろうか、こんな会議に出席するより、いますぐこの写真の中に入り込んでビーチで寝ころびたいと考えているとドアが開き、役員が三人並んで入ってきた。
「それでは、定刻になりましたので」「いえ、訂正します、定刻より少し早いですが揃いましたのでただいまより会議を開催いたします」「本日はご多忙のところ、ご出席をいただきましてありがとうございます」「なにぶん不慣れでございます、みなさまご協力をどうぞよろしくお願いいたします」「早速ですが、お手元のチップをご覧ください。前回の会議において、機械本体の色の変更を検討してはどうかとのご意見がございましたので、色見本をご用意いたしました」
 司会が「チップ」と呼ぶものは、切手くらいの大きさのプラスティックの欠片が並べられたものだった。
「葬儀用の機械なのだから、もう少しシックな色味にしてはどうか、とのご意見でしたが、シックなチップはどれか、決を採りたいと思います」「早速ですが」「不慣れなもので」「まちたまえ」「チップって君、こんな破片ではイメージできんだろう」「シックな色味といいますが、シックの意味とは」「何語だ」「英語か」「フランス語でしょう」「シックな機械とは」「上品で洗練されているさま、とあります。いま調べました」「いままでのは下品だったとでも言うのか」「葬儀用だから、とシックな色味、とはつながるものなのか、果たして」「そもそも論か」「コンサバティブ」「なんだ」「誰だ今コンサバティブといったのは」「シックはなんとなくわかりましたが、コンサバティブはどういう意味でしたっけ」「保守的な、とか控えめな、という意味だろう」「葬儀用だからコンサバテ
ィブな色味にしてはどうか、ということでしょうか」「シックなチップとコンサバティブなチップ」「決を採りたいと思います」「まちたまえ」「おいチップしかないのかチップしか」「イメージできん」「実はそういったご意見もあろうかと、実物大の見本も用意してございます」「なんだ」「最初から出せ」「パールホワイト、パールブラック、パールブラウン」「パールしかないのか」「シックな色味とのことでしたので」「一理あるな」「一理あるか」「もう一種類、シャンパンゴールドも用意があります」「決を採ります、シックかコンサバティブ、どちらかに挙手願います」「僅差ですが、シックに決定します」「色についても挙手を願います」「全員一致でパールホワイトに決定します」
 ホワイトボードに「パールホワイト」と記され、あらかじめ書かれていた進行表の「色変更について」の項目が線で消された。(何色でもかまわない、早く会議が終わったほうがいい)そう考えて彼は人数が多そうなところで手を挙げていた。会議の合間に地中海と思われる風景に目をやった。(腹が減ってきた、上の階で新作寿司の試作が余って、おすそわけが来たりしないだろうか)
「続きまして、次の議題、商品名の変更について」「かねてより、当社の主力商品である「ジャンケンマン」について、「マン」と男性に限定するのはおかしいのではないかとのご意見が、お取引先ならびに社内からも挙がっておりました」「また、ジャンケンについても、ルール自体を変更するのは困難かもしれないが、呼び名を変えることで新鮮味が出せるのでは、とのご意見もございました」(寿司が食べたい)「そこであたらしい名前の案をいくつか検討いたしました」(あの地中海と思われる写真の海から、ピョコンと寿司が飛び出して来たらいいのだが)「その結果、我々としてはこれしかないという結論に至ったため、ひとつしか用意しておりません」


「ポリチンパン・ピープル」


 その瞬間、それまで明るかった窓の外が急に暗くなり、向かいのビルの屋上にある避雷針に雷が落ちた。まるであたらしい商品名の発表を格好よく演出したかのようなタイミングだったが、雷は会議の進行具合にあわせて落ちた訳ではなかった。この地球上ではこういったことがまれに起こるが、当ネットワークが関知する限りでは特定の何者かの行動や心情にあわせて天候が変化することは一切ない。ちなみに、太陽の光を受けて輝くカレンダーの写真の中の海は地中海で正解、カレンダーのなにかがおかしいと感じた理由は、前年度のカレンダーのため曜日が異なっていたからだった。彼は介護施設を訪れた際にもカレンダーをみて同じようにおかしいと感じたことがあったが、それも同様に年度が異なるカレンダーがかけられていたからだった。


 「決を採りたいと思います」「まちたまえ」「ポリチンパンというのは、ソウルで売られている麦蒸しパンです」「ポリチンパンという音が思い浮かんで、これはあたらしい、オリジナリティに富んだ名前だと思い、念のためグーグルで検索したところ、麦蒸しパンのことでした」「商標登録されているものではなさそうなので、権利関係は問題ないと考えられます」「ジャン、ケン、ポン」「ポリ、チン、パン、どうでしょう」「ポリ、チン、パン、あいこでしょ」「あいこはそのままなのか」「ピープルとはなんだ」「ピープルは必要ないんじゃないか」「ポリチンパンと、ポリチンパン・ピープル、どちらがよいか、挙手を願います」(急に雨が降り出したな、そういえばラジオで夕立に注意が必要だと言っていたけれど、傘を持っていない。会議が終わる頃には止むといいが)(おや、あれはなんだ?)
「カメレオンだ!」


 急に降り出した雨に打たれながら、一匹のカメレオンが会議室の窓ガラスを下の階から上の階へと向かって這っていった。会議室の全員がカメレオンのゆっくりとした動きを見守ったあと、商品名は決定した。そして数年が経ち、機械本体の色が何度か変更されたのち、いま、まさに進行している葬儀の、ホールの中心に置かれた、まるで墓石のような色をした樹脂性の立方体の中心で、かつてグーやチョキやパーと呼ばれ、いまではポリとチンとパンと呼ばれるようになった三つの手の形にめまぐるしく変化しながら明滅する光の上部に取り付けられたアルミ製のプレートには、「無」と刻まれている。まるで小津安二郎の墓石のようだ。

「ポリチンパン」3


 妻が家を出ていったことがきっかけではない、そう男は供述している。妻が出ていってしまったせいでやけになって事件を起こすなんて馬鹿げている、発端は結婚するよりも前にある、社会人になった瞬間からこうなる運命だったのかもしれない、そう銀行員の男は供述している。
 供述によると、入行してすぐに行員専用カードローンを申し込んだ、というよりも申し込まされたという。三百万円まで自由に利用できる当座貸越枠を手に入れると、最初は(金利がもったいない、給料の範囲で生活していればカードローンなんて使う必要がない)と考え、借り入れすることを恐れさえしていた新入行員たちは、しばらくするとそれぞれが思い思いの、いわゆる遊興費とよばれる資金使途のためにATMにローンカードを挿入し、暗証番号と金額を入力し紙幣を手にすると、まるで打ち出の小槌でも手に入れたかのように気が大きくなって、二度目の借り入れまで時間はかからなかった、皆がそうとは言い切れないが、少なくとも自分はそうだったし、仲間もそうだったはずだと男は供述している。
 男の場合は、それまで一度も訪れたことのなかった風俗店へ先輩に連れられて足を踏み入れたことがきっかけだった。ドアを開くと黒いスーツを着たボーイが立っていて、まず入場料を支払った。ビロードのカーテンをくぐると薄暗い室内の黒いソファに男たちが並んで座っていた。男たちの前には、薄暗い室内とガラス一枚で隔てられたショーケースのような空間があった。
「あれはマジックミラーになっていて、もうすぐいい女がずらっと並ぶぞ」
 先輩に耳打ちされながらソファの末席に腰を下ろすと、ボーイがお飲物はいかがですかと尋ねてきた。慣れた様子で「ウーロン茶」と答える先輩に倣い、同じくウーロン茶を注文すると、今度は「御爪を拝見」とボーイが言い、言われると同時に先輩は両手の平を開き、ネイルサロンにでも来たかのようにボーイに爪の長さを点検された。真似をして両手の平を開いてみせたものの、緊張からか指先が震えたと、男は供述している。
 ウーロン茶が運ばれてくるとまもなく、薄暗い室内がさらに暗くなり、マジックミラーの向こう側が明るく照らされ、ボディコンシャスな衣装を着た女性が六名、皆背筋をのばして胸を張る姿勢で立ち並んだ。天井で小さなミラーボールが回転し、何も隠してはいない丈の短いスカートの下、むき出しの太股やはだけた胸元の上を光りが通り過ぎていった。女性の胸元につけられた名札をみて、ソファに座った男たちが順番に指名し、サービスのコースと時間を決めそれに応じた金額を支払って順番にビロードのカーテンの向こうへと消えていった。ちょうど先輩と男との前に六名の先客がいたため、ふたりの指名する順番は次の案内となった。
(次の回は、いまみた六名よりもいい女が来ますように)
 そう願いながら唇を湿らせる程度にウーロン茶を飲んだ。幸い、先輩とは好みのタイプが分かれていたようで、次のマジックミラータイムには納得のいく女性を指名することができ、先にボーイに呼ばれた先輩は「終わったら、さっきの喫茶店で報告会だ」と男に告げたため、先輩を待たせる訳にはいかないと男は考えたが、いざ個室に案内され、初めてのサービスを受けると(こんなの初めてだ! )とほんとうに初めて経験する快感に震え、こんなの初めて!と口にする代わりに「延長!延長お願いします! 」と叫んでいた。
 延長を終え、指定された喫茶店へ行くと灰皿を吸い殻で一杯にした先輩が待ち受けており、それをみたとき(報告会か反省会か知らないが、そんなものは無用だ、今後はひとりで来よう、ぜひともまた来よう)と考えたと男は供述している。
 供述によると男はそれから週末になると同じ店に行くようになり、やがてマジックミラー越しに他の男たちと競いあって指名する以外に、あらかじめ電話で指名予約をすることもできることを知ると、平日の仕事中にインターネットで女性たちの出勤情報を調べ、口元だけにボカシが入っていたり、顔全体にボカシが入っていたりするプロフィール写真を睨みながら誰を予約しようか考えるようになったという。給料日前の週末には、翌週まで行くのを我慢することができず、ローンカードでお金を引き出して通うようになった。最初のうちは給料が入るとすぐに返済し、また給料日前になると借り入れをしてまた返済して、と繰り返していたが、行くのをやめることはできなかった。
 待合室の照明が落とされてマジックミラー越しに女性が現れる瞬間までの緊張感と、個室でサービスを受けているときの(気持ちいい)ということ以外、たとえば仕事中に起きた嫌なことなど、何も考えられなくなる瞬間がどうしても忘れられず、射精した瞬間から次の射精が待ち遠しくて仕方がなかった。指名するといっても、同じ女性を何度も指名することはほとんどなく、常に初めての女性と対面する緊張感を求めた。
(俺は性の冒険者なのだ)
 風俗店に通う自身をそう捉えた男は、ヘルスだけでなく、ソープランドという場所へも是非行ってみたい、でなければ冒険者とは言えないと考え、まずはソープランド街の歴史から調べはじめたという。
 はじまりは明治二十一年に開かれた遊郭であり、そこから何度か移転を繰り返している。太平洋戦争時に軍需工場を建設するため最初の強制移転があり、戦後に当時の国鉄南口の紡績工場跡地に一斉移転した。業者は六十軒あり、一軒あたりの面積は六十三坪にきっちりとわけられ、場所取りはくじ引きで決められた。ロココ様式のような豪華な建物、白馬に乗った騎士の像が二階テラスに立っていたり、入り口横の噴水に水浴びをする女神像が座っていたり、エレベーターが昇降する部分がステンドグラスで装飾されていたりするそれらが六十三坪の土地に建ち並んでいる様子の写真が映し出されたタブレット端末のディスプレイから視線をあげると、まったく同じ風景が駅のホームに降り立った男の視界に入ってきたが、異国の異空間にみえるその一角は遠目にみてもすべてがくすんだ色合いで、古びていた。
 近づくと、どの店も塗装が剥げたり錆が浮いていたりと、条例で改築が制限されているという情報は本当だと納得できる風景がみられた。手を加えることを禁じられ、崩壊するのを待っている遺跡のような場所に、黒いスーツに黒い蝶ネクタイをした男たちが立ち、口ぐちに声をかけてきたが、歴史を調べるのと平行して調べていた店舗別の在籍姫ランキング上位者の中から既に自分の好みの女性を選び出しており、呼びかけには応じることなく、迷うことなくひとつの店へとたどり着いた。
 手すりに装飾の施された螺旋階段を登りドアを開けると受付があり、そこで入場料を支払うとビロードのカーテンの向こうにある待合室へと通された。ここまでの手順はマジックミラーの店と変わらなかった。待合室にはソファが四脚、すべて正面の壁を向くように配置されており、マジックミラーはなかった。腰掛けると想像以上にソファは深く沈んだと男は供述している。
 尻が沈み込んで驚いているところで、ふと誰かの視線を感じた。案内したボーイは既に写真で指名した女の名を告げに部屋の外へでており、ちょうどその時待合室に他の客もいなかった。壁をみるとモナリザの複製画が架けられており、(そうか、モナリザにみられていた訳か)と考えたが妙な感じがなくならず、よくみると少し右に体を傾けて横目でこちらをみつめているはずのモナリザの黒目が真ん中にあり、まっすぐにこちらをみていた。みつめあったまま絵に近づいていくと、モナリザがまばたきをし、驚いて立ち止まると瞼を閉じるようにスッと絵の具で描かれた目線が下りてきた。
(さては、事前にどんな客が来ているか嬢が確認するための覗き窓だな)
 マジックミラーの店舗の待合室にも、壁の不自然な位置に鏡があり、おそらくマジックミラー越しに登場する前に断りたい客を見定めるための、逆向きのマジックミラーなのだろうと男は推測したことがあった。さらに付け加えるなら、マジックミラーだと言われている部分は単なるガラスで、向こう側からこちら側はすべてみえているのではないかとも推測した。何故なら店舗にとって本物のマジックミラーを費用をかけてわざわざ用意する必要がないからだ。顔や胸元、お尻から足にかけて品定めするかのようにじろじろとみつめてくる男たちの前に立ち、すべてみえているにもかかわらずまるで鏡に映った自分自身をみているかのようでその実どこもみていないような不自然な視線を宙に浮かべて立っている女たち、自分はみつめかえされることなく特権的に無遠慮な視線を注ぐことができる立場にいると思いこんでいる男たちと、マジックミラーが実はマジックミラーではないことを見抜いた自分とは違う、そう考えていたこともあったが、今思えば待合室に並んでいた男たち全員がそう考えていたのかもしれない。
 偽マジックミラー越しの場合、視線を合わさないようにしつつも既に対面しているが、モナリザ越しの場合、直接みつめ合ってはいるものの姿はみえない。どちらかといえば写真で指名する店舗のほうが一般的で、マジックミラー形式が特殊だったが、初めて経験したのがマジックミラーだったので、緊張し、興奮した。
 準備ができた旨を伝えに来たボーイにうながされ、待合室をでると二階へと続く階段の踊り場にドレス姿の女が立っていた。写真と異なる女が現れた場合に落胆せぬよう、あらかじめ覚悟をしていたが、覚悟していたよりずっと写真に映った姿に近い女だったため、驚いた。写真をみて指名しておきながら、別人が現れると予想して、写真に映っていた女が実際に現れて驚くことになるとは、(俺はツイている)と考え、階段を上りながら既に(また来よう)と思ったと男は供述している。女に手をとられてさらに階段を上ると、絨毯が敷かれた廊下に出た。並んだドアのうちのひとつを開けると、手前半分にベッドとテーブルが置かれ、奥のもう半分は浴槽とタイルの床になっていた。お風呂に入って寝るだけのその部屋に入った瞬間、建物の内部についても改装や改築が禁じられているのだということが理解できた。巨大な業務用エアコンはおそらくもう壊れていて、家庭用の小さなエアコンが別に取り付けられていた。手前の床は毛足の長いカーペットで隠されているものの、風呂場のタイルはところどころ割れて剥がれてコンクリートがむき出しになっていた。風呂の配管もビニールテープで補修されているところが目立ち、浴槽だけが取り替えられたようで黄金色に輝いていた。シャツのボタンをひとつひとつはずされながら、この改装されずに同じ状態のまま朽ちるのを待っている部屋で、これまでに何人もの男女が交わってきたのかと、俺もその歴史に加わる訳かと、男は考えたという。かつて家制度というものがあった頃、同じ家屋の同じ寝室で、壁に架けられた先祖の写真が見守る中、代々男女が交わってきたであろうことが思い浮かび、子孫繁栄につながるそうした行為があった一方で、このソープランドで代々行われる秘密の行為からは子孫は生まれず、戸籍に書き加えられることなどなにもなく、ただ繰り返される営み――そう考えながら尻の割れ目に対応する箇所が大きくえぐれた椅子に座って泡で股間を洗われ、崩れて消えるのをじっと待っている部屋でその後何人もの女と寝た、それが結婚する前の話であり、同じ金額の融資枠を持った数名の同期たちが結婚する時期になると、性の冒険者といえども人並みに交際をしていた女性がおり、それは営業で訪問する取引先の企業の受付を担当していた女性だったのだが、何度目かに同期の結婚式に出席した後で(ご祝儀を払ってばかりでは、つまらない)と考え、ある日渉外鞄を持って営業中に彼女が座っている受付を訪れ、なに食わぬ顔をして名刺の裏に「結婚してください」とボールペンで記入し、深々と頭を下げながら手交した。
 結婚を機に、冒険は終わりだと考え、ふたりでアパートに住みはじめてからは風俗店へ行くことはなくなり、仕事を終えるとまっすぐに帰宅する日々が続いた。風俗店に通うのをやめてみると、自分には何も趣味がなかったことに気がついたと男はいう。山登りや釣り、写真やフットサル、切手収集や将棋、油絵やダーツ、そうした趣味らしいものに何も興味がなく、従って趣味の時間がとれないことに苛立つようなこともなかった。ただ、また風俗店へ行きたいという気持ちだけは消えず、とろ火で煮込むように、と何故か突然趣味でもない料理に例えて、再び冒険に出る日を待ち望む気持ちは煮詰まっていったと供述している。
 数年後に中古マンションを購入した。これも同期たちが住宅を購入しだした頃、真似をするように家を買おうかと考えた結果だった。自分の住宅ローンの稟議書を自分で書き、口座に融資金が振り込まれると同時に業者へ資金を振り込み所有権の移転が完了し、これで仕事が辞められなくなったと辞める予定もなかったにもかかわらず、考えた。その重みに耐えかねて風俗通いを再開したという訳ではないが、住宅ローンを借りてしまうと、住宅資金のために貯金しなくてはという気持ちが薄れ、子どもがいないため学費を準備する必要もないだろうという言い訳が浮かび、ついうっかり以前みていた風俗店のホームページを閲覧してしまった。本日の出勤状況をみた途端、心臓をやわらかい手で揉みしだかれたかのように動悸がして呼吸が荒くなり、自らの意志に反して震える指が勝手に動いてマジックミラーの店に電話をかけてしまった。それからは自制がまったくきかなくなり、独身の頃と同じ頻度で通い続け、小遣いだけでは足りなくなり、貯金ができないどころか生活費にまで手をつけて、足らない分はローンカードで引き出して充てるようになった。当然カードローンの元金返済はできず、毎月ほぼ利息だけを支払うばかりで、まもなくカードローンの利用残高は極度額まで達してしまった。しかしもう後には戻れなかった。
(俺がローンを完済できるのは、性欲が完全に消え失せたときだ。それまでは、銀行員としての信用力によって資金調達し続けるしかない)
 いつ果てるかはわからないが、性欲にも限りがあるのだから、それまでは借金をしてでも欲望を満たすことが豊かな人生である、そう自らの行為を肯定したものの、借り入れ可能額にも限度があり、企業の決算書に置き換えるなら正常運転資金以上の借り入れ、年商以上の借り入れをおこなっている、査定でいうなら破綻懸念先にもなりかねない状況に陥っていた。利益の出ている企業であれば、節税のために交際費を使うところだが、借入金の返済によってキャッシュフローが捻出できなければそんな余裕はない。
 ある日、男は業況が良好なある企業を訪問し、営業担当者と話していた。契約を取るにはやはり接待は必要で、相手が男なら飲みに連れていくより何よりまず女を抱かせるのが一番、飲んでからむらむらしてどうするどうするなんて言っているようじゃ駄目で、あらかじめ予約しておいた店に連れていって抱かせちゃう、飲みにいくならその後飲みにいけばいい、もうこれで契約は決まり、と接待の必勝法を語るのを聞き、(取引先の接待交際費で風俗に行く、その手があったか)とひらめいたという。ある程度資金繰りに余裕のある中小企業で、経理担当も兼ねているような社長と仲良くなり、低レートでの融資をちらつかせて接待を受ければ、これ以上自ら借金をしなくてもすむ。
 融資取引一覧表を出力すると、そこから正常先から要注意先までの企業を抽出し、それぞれの企業の社長の顔を思い浮かべ、親交が図れている先かどうか、好色そうな顔かどうかを基準に見込先をピックアップしてリスト化すると、「融資取引推進見込先リスト」という偽の表題をつけてファイルに綴りこみ、営業活動へと出発した。リストアップされた企業は規模、業種を問わず様々だった。一般貨物自動車運送業、調味料製造業、医薬品製造業、情報処理サービス業、一般機械器具卸売業、葬儀用機器製造業――這わせた指を止めると、助手席にファイルを放り投げ、ギアをドライブに入れた。

「ポリチンパン」2


 わたしだけがいつも蚊に刺されていた。日本から取りよせたものらしき渦巻き型の蚊取り線香に火をつけながら、思い出した。そういえば、最近は蚊にさされても痒みを感じなくなった気がする。皮膚が赤くなるだけで、さされたことに気づかないこともあった。体質が変わったのか、蚊がひとの肌に痒みを残さずに血を吸えるよう進化したのか。進化したのだとしたら、世界中の蚊がそうなったのか、それとも日本の蚊だけが特殊なのか、そんなことはわからない。
 ここは南アフリカ。男がそう言っていた。いや、そうとは聞き取れなかったけれど、手渡された書類の束の中にサウスアフリカという単語がみえたから、きっとそうだと思う。窓際に据えつけられた木製の机はコの字形をしているだけで引き出しがないので、書類の束は机の上の左端に置いてある。机の上には一冊のノートと鉛筆と消しゴム、ハンドルを回すタイプの鉛筆削りが置かれていた。祖父の家に同じタイプの鉛筆削りがあったのを思い出す。初めてみたときは何に使う道具かわからなかった。
 他には木製のベッド、その上にマットレス、シーツ、布団が用意してあった。壁際には木製の衣装ケース、その中にはハンガーが3本、ハンガーをかけるポールの上にある小さな棚にはタオルが3枚と蚊取り線香、マッチの小箱がのっていた。部屋に入ってすぐに開けるとハンガーが揺れた。特にかけておく上着を身につけていなかったから、タオルを手にとり毛羽だってはいない表面を触って新品かどうか見定めようとしたけれどわからず、蚊取り線香とマッチを手に取ってから扉を閉めた。扉の木目が本当の木目なのか、木目調のプラスティックなのか、それも見定めることはできなかった。壁に絵画でもかけられていればタオルや木目をみつめることに時間を費やすこともなかったかもしれないけれど、壁にはなにもかかっていなかった。小さな穴が三つ、そこだけ壁の色が逆三角形に明るくなっているところがあって、それはかつて鹿の頭か何の頭かわからないけれど、そんな飾りの跡かもしれなかった。
 部屋のなかに蚊の存在を感じた訳ではないけれど、キャンドルを灯すような気分で、いや、ただマッチを擦ってみたくて、蚊取り線香に火をつけた。机の前の大きな窓は閉じられていて風はなく、一筋の煙がまっすぐにのぼった。


 窓からは海がみえる。


 あなたにも神が宿る。


 ノートを開き、鉛筆で文字を書くと鋭く尖った先がすこし砕けて、紙の上に黒鉛の粉が散ったところへふっと、息を吹きかけた。あなたにも神が宿る、それがエナジードリンク・ユービックのキャッチコピーだった。日本での最後の数ヶ月間わたしはユービックの試飲キャンペーンガールのアルバイトをしていた。三十歳を過ぎてビキニみたいな格好で街頭に立つことになるとは、そもそも水着を着て海やプールへ行ったこともなかった二十歳そこそこの自分は想像もしていなかったけれど、マンションを出て2LDKのアパートを借りる費用だとか、今後の生活費だとかを考えると、求人誌の高額時給ランキングコーナーの上位にあったその仕事に飛びつかざるをえなかった。
 支給されたビキニみたいなユニフォームは磨かれた金属のように光沢があって、もしほんとうに金属だったなら重たくて付けていられないはずだけれど、手にとると普通の水着の重さだった。持つ手の角度を変えると蛍光灯の光を反射する、そのビキニを着て姿見の前に立ってみてもさほど不格好ではなかったのは、学生時代にテニス部で鍛え上げたせいかもしれないし、結婚してからも続けていたランニングの成果かもしれなかった。
 カーテンの生地が朝日を透してオレンジ色に染まるよりずっと早く、隣で掛け布団をぐちゃぐちゃにして眠る夫を起こさないように――といっても多少の物音で目覚めるほど敏感でもないのだけれど――それは気遣いからでは決してなく、ひとりで過ごす貴重な朝の時間をこの夫、というより布団に絡みついて横たわる、腹のあたりが呼吸にあわせて膨らんだりしぼんだりを繰り返す、肉のかたまりを粘土のように集めて作ったかのような生き物が目覚めて声をかけられたり、何かを頼まれたりして邪魔をされるのが絶対に嫌なだけなのだけれど、静かに寝室を抜け出して、洗面所でなるべく音をたてずに顔を洗い、台所で水を一杯飲んでからウェアに着替え、家を出る。エレベーターでもエントランスでも誰ともすれ違わない。同じ時間にランニングをしている人はいないらしい。新聞配達の人ともすれ違ったことはなかった。 信号のない裏通りを南へまっすぐ、駅まで向かい、駅にぶつかると東に折れて市役所まで走る。
 住んでいたマンションも、その周囲の分譲住宅も、繊維工場の跡地に建てられたものらしく、駅まで走っていく途中に閉鎖されたままの小さな紡織工場を何件か通り過ぎる。取り壊されて土がむき出しになっている土地もあって、毎日ランニングしていると、住宅と住宅との間に挟まれていた工場にネットがかけられたかと思うと翌日には取り壊され、住宅と住宅との側面が露わになって風景が変わる。そうした空き地は、日に日にと言うと言い過ぎのような気もするけれど、増えていくように思えた。
 かつては繊維産業が盛んで、紡織機がガチャンと鳴る度に一万円儲かるというガチャマン景気に沸いていたという話を、商店街の中の閉店した店舗を「憩いのスペース」としてベンチがあるだけの休憩所に改装したところに掲示されていた「この街のあゆみ」という文章で読んだことがあった。ガチャンという音がする間というと、一秒くらいだろうか、ガチャン、一秒で一万円、ガチャン、二秒で二万円という計算でいくと一分間で六十万円、当時の六十万円は今よりももっと価値があっただろうし、ガチャマン景気だなんて少し下品な感じがする景気に沸いていたわけだと考えながら、陽に焼けたプラスティックのベンチに腰掛けて近くの和菓子屋さんで買ったみたらしだんごを食べたことがあった。次のテナントが入居するまでの、空っぽの空間には寒々しく光る蛍光灯が並ぶ天井と「この街のあゆみ」のプレートがかけられた壁とに囲まれているだけで、手洗い場なんてなかったから汚れた口を持っていたハンカチで拭って、おだんごの串を捨てるゴミ箱もなかったからさっきの和菓子屋さんに捨てにいこうと立ち上がった。
 みたらしで汚れたそのハンカチも、そのときわたしが着ていた服も、走っているわたしのウェアも、この街で作られた生地のものは一枚もなかったはずで、どこの国で織られてどこの国で縫いあげられたものか確かめることさえしなくなっていた。だから日に日に、と言うと言い過ぎのような気もするけれど、ランニングコース沿いの空き地は増えていき、毎日それを同じ位置からカメラで撮影したものをつなぎ合わせたなら、次々に建物が消滅していく中を、まるで消えていく街から逃げ出すようにわたしが駆け抜けていく映像作品ができたかもしれない。
 小さな工場が消滅していく一方で、敷地の広い工場は、建物をそのままの姿で残したまま巨大な介護施設に変わり、かつて工業団地と呼ばれた一角が介護団地になることも少なくなかった。わたしの祖父が入っていた介護施設は元繊維工場ではなく元自動車部品製造工場だった。
 祖父が入所する前に弟とふたりで見学にいくと、スキー場の二人乗りゴンドラのような宙づりの椅子に腰かけた老人たちがベルトコンベアで運ばれてきて、ゴーグルとマスクをした作業員たちがバスローブのような衣服を脱がせる係、身体をスポンジで洗う係、泡をシャワーで洗い流す係、紙おむつを付ける係、ふたたびバスローブを着せる係、流動食を口へ運ぶ係、口を拭う係と、順番に待ちかまえていて、流れ作業でそれぞれの担当係の作業を繰り返す光景があった。作業員のゴーグルは金属のように光を反射して、彼らの視線がどこにあるのかまったくわからなかった。
 一連のケア作業を受けた老人たちは、それぞれのパーソナルスペースと呼ばれるカプセルホテルのような空間に運ばれていき、横たわってスクリーンに映る映像をみながら次にベルトコンベアで運ばれる時間までを過ごす。
「映像は、小津安二郎監督作品を公開年順に上映しております。『懺悔の刃』からはじまり、『秋刀魚の味』まで順に放映し、また最初に戻ります」
 主任という肩書きだけが記された名刺を渡してきた案内係の男性はそのように説明した。説明しながら胸元のループタイをいじっていた。弟は説明を聞いているそぶりをみせず、次々に運ばれてくる老人たちを黙って見下ろしていた。ループタイをいじるばかりで言葉を続けないので、強い関心があった訳ではないけれど質問することにした。
小津安二郎だけですか?他の映画は・・・・・・映画の他にはすることはないのでしょうか?」
小津安二郎だけです。ここは極力経費を抑えて多くの方にご利用いただけるようにと考えて作られた施設ですので、いまご覧頂いているように流れ作業による介護など、なんといいますか、あまり文化的でないと受け止められることもございます。そこで小津安二郎の映画によって文化的な面を補おうという意図で行っているサービスでございます。小津安二郎というと、蓮實重彦が評価している映画、というイメージがございましたので、蓮實重彦が評価するものは文化的価値が非常に高いものである、との判断から採用させていただいております」
「それは何の模様が彫ってあるのですか?ピラミッドですか?」
 弟が案内係のループタイを指さして尋ねると、男性は映画の話をやめて答えた。
「これですか?さあ、ただの三角形じゃないでしょうかね。どうしましょう、親族の方がいらっしゃったときのための面会室もご案内いたしましょうか」
 面会室と呼ばれた部屋の、一輪挿しの花が置かれたテーブルで、わたしと弟とは入所申込書類の保証人欄にそれぞれ名前を記入し、口座振替依頼書には弟が銀行名と支店名、口座番号を記入し、銀行印を押した。保証金と1ヶ月分の施設利用料が印字された振込用紙を受け取ってから視線をあげると、案内係の後ろの白い壁にカレンダーがかけられているのがみえた。カレンダーの上半分は日本のどこかの城と満開の桜とが写っている写真で、下半分が日付になっていた。案内係の男性はテーブルの上の書類に顔を近づけて記入漏れがないか確認しており、男性のつむじ越しにカレンダーを眺めていて、何かがおかしいと感じたけれど、理由はわからないまま施設を出た。


 引っ越し先のアパートへは、荷物が届くよりも先に入って、ガスの開通作業が終わるとその日は何もすることがなくなった。すでに祖父は施設へ入所したあとだった。あの工場でどのような日々を過ごすのか、見学したからもちろん想像しようと思えば簡単に、詳細に、想像できるのかもしれないけれど、考えたくはなかった。自宅から工場まで、祖父は弟が運転する車の後部座席で黙って景色を眺めていた。わたしも助手席に黙って座っていて、弟はときおりバックミラー越しに祖父の姿を確認しながら唇をきつく閉じていた。ただ、途中一度だけ、車窓から遠くの山に太陽の塔が、万博記念公園にあるそれではなく、かつて日本モンキーパークだった敷地内に残された若い太陽の塔が小さくみえると、唇が開かれて、息が漏れた。幼い頃よく祖父と一緒にモンキーパークへ行き、一日中猿をみていた頃のことを思い出していたのかもしれない。モンキーパークにいるすべての猿の名前を覚えていたけれど、いまではもうほとんど忘れてしまったといつか話していた弟の、幼い頃みつめていた猿が何類だったのかわからなくなっても隣に祖父がいて楽しかった記憶は消えずに残っていたみたいで、でもそれは猿がいて、隣に祖父がいて、どんな天気で、どんな匂いがして、風景が思い出されるというより楽しかった気持ちだけがふっと蘇ってきて、風景の方ははっきりと思いだせないもどかしさにさみしくなるように、猿の檻の前に立つ祖父と弟とを後ろからみていたはずのわたしには思えた。
 施設に到着すると、見学のときの案内係と作業服を着た年配の女性が駐車場で待っていた。女性はわたしたちに挨拶すると、はね上げてあった虹色に光るゴーグルを溶接工のように顔におろしてすぐに表情がみえなくなり、そのまま祖父の手を引いて施設の中へと歩きだした。祖父は一度もこちらを振り返らなかった。
 空っぽのアパートに鍵をかけて外へでて、駅のほうへ歩いて最初に目についた派手な色づかいの看板の安そうな居酒屋に入って生ビールとお刺身と何品か頼んで食事をすませてから、誰かに電話をかけようかと思ったけれどやめて、ただ外でひとりでビールを飲んでいるなんて何年ぶりだろうと思った。


 そういえばこの部屋に電話はなさそうだし、どうやって外と連絡をとればいいのだろう。そもそも連絡する先が残されているのかどうかも、わからないけれど。ノートから顔をあげて窓をみると自分の顔が映っていた。外は暗くなり、いつの間にか部屋に灯りがついていた。
 アパートの最初の夜も、カーテンがまだなくて、同じように窓に自分の姿が映っていた。居酒屋からの帰りにレンタルビデオ店に立ち寄って、DVDを借りて安いDVDプレーヤーを買って、唯一持ち込んだ薄い布団にくるまって小さなディスプレイで『麦秋』をみた。同じ時間に祖父が小津安二郎のどの作品をみているのか、それとももう眠っているのかわからなかったけれど、施設で小津安二郎の映画をみるのはどんな気分か想像しようとして、その後でもう一度、猿の檻の前に立って弟に何か語りかけているまだ若い祖父と、まだ幼い弟とを後ろでみていたときの光景を思い出してみようとしたけれど、記憶には色がなく、ふたりの表情も猿の種類も思い出せなかった。
 カーテンのない窓から朝日が差し込んで来てはじめていつのまにか眠っていたことに気がついた。目をあけると眩しくてなにもみえず、自分がどこにいるのかすぐにはわからなかった。そこが引っ越してきたアパートの部屋だとすぐにわかったところで、どうしてアパートの部屋にいるのか、どうしてこれ以上夫と暮らせないと思うようになったのかはわからなかったと思う。
 はっきりとした原因というかきっかけのようなもの、たとえば夫が誰か他の女性と会っているところをみかけたとか、事業に失敗して自己破産することになったとか、暴力をふるわれたとか、そんなことは何もなかった、少なくともわたしの知る限りでは。きっと思い出すこともできないような、毎日のささいな出来事の積み重ねで、一緒に生活していることがきわめて不自然なことのように思えるようになって、いったん思いはじめるとその考えは薄れたり消えたりすることはなく、一滴ずつコップに落ちた水滴が唇をしめらせる程度の量になり、やがて喉を潤せるほどの水位になって、ついには溢れだすように、この生活から抜け出すのに一刻の猶予もないと、朝のランニングのときのように心臓の鼓動がはやくなるのがわかって、いや、わかったなんて冷静な状況ではなくて、まるで何者かに握り拳で心臓を強く叩かれたみたいになって、それを合図にわたしは空気を求めて水面を目指すほ乳類のように大きく息を吸い込みたくなって、そのまま玄関を出たのだった。